※CAUTION※
・同性愛に関する表現が多々含まれます。
・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。
・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。


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 週が明けて月曜日。期末テストの返却が始まる日。屋上へ行く階段にも、その先にも、彼の姿はなかった。それどころか、その日一日僕の後ろの席はずっと空席のままだった。
 あの日のことが、影響しているのか。思い出すのは彼の泣き出しそうな顔。走り去る背中。

 それにしても、彼が音楽を聴いている振りをしていたのは単なる偶然だったのだろうか。ヘッドホンだけでも遮音性は高いが、皆無というわけではない。僕の愚痴くらいならば筒抜けだったのかもしれない。どうせ聞いていないだろうと思ってとんでもない事を話してしまっていたような気がする。
 何を話したっけ。思い出せない、というか思い出したくない。

 開かないドアの前で座り込み、考える。
 そこまでのことか? 確かにそういうことがバレたら恥ずかしいかもしれないが、あの場を逃げ出す口実としてはずいぶん弱すぎる。自分の胸の内を吐露してしまっていた僕の方がよっぽど恥ずかしいじゃないか。
 とはいえ、元から行動理念が把握しづらい奴だ。おおかた小学校時代にいじめられた思い出でもフラッシュバックしたとかそういうところだろう。
 そう考えれば彼に対しての罪悪感が湧き上がる。
 無論、あれは原なりに会話の糸口を探すための行動だったのだろう。
 けれど、その行動にどんな意図があったかなんて、あの悲惨な結果の前では情状酌量の余地などカケラも存在しない、何とも無意味なことだ。
 例えば頬に蚊が止まっていたとして。刺されてかゆい思いをすることになったら大変だ、とその頬を勢いよく叩いたら? 痛みとかゆみではどちらがマシだったのだろう。痛みは一時のもの、かゆみは長く続くもの、なんていう理屈が通るだろうか。他人から与えられた痛みとはとても強く残るものだ。体にも、心にも。無自覚のまま刺された故のかゆみなら、たとえそれが長く続いたとしても我慢できよう。だってそれは自分のせいなのだから。
 余計なお世話、と言われたらそれまでだった。
 でも、彼が僕にしてくれたように、僕もまた彼に何かをしてやりたかったのだ。感謝の気持ちを、言葉ではなく、何らかの行動で、形に残るもので、心に残るもので、彼に恩返しをしたかった。
 彼の行動が裏目に出ることはなく、僕の行動だけが裏目に出た。恩を仇で返すというのはこのことか。

 とにかく謝ろう。僕が無理矢理連れ出してしまったことが事の発端だ。少なくともそこは謝らなければならない。

 そう思って、翌日も、翌々日も屋上へ通い詰めたのだが、守谷と会うことはできなかった。彼は学校を休み続けている。担任が何も言わない辺り、学校へ連絡は行っているのだろう。まさか担任まで彼の存在を認識できていないというわけでもあるまい。
 あの後夏風邪でもひいてしまったのだろうか。見舞おうにも考えてみたらそもそも彼との連絡手段がないのだった。僕の携帯を操作することができたくらいだから持っていないはずはないのだけれど。
 何ともやりきれない。罪悪感が僕を苛む。罪悪感? 自己嫌悪? 適切な言葉は見つからない。


 そして終業式の日。夏休みの前日。
 カーテンを開けても守谷はいなかった。どうせ、今日も来ていないんだろう。とはいえ、今日を逃せばもう夏休み。一ヶ月半近くも彼に会うことができなくなってしまう。間をあければあけるほど会った時の空気は気まずい。それに、また夏休み中に守谷と会いたい。前は翼のこともあって落ち着いて遊ぶことはできなかっただろうから、何の気兼ねもなくどこかに遊びに行きたい。あの時のお礼も兼ねて、この前のお詫びも兼ねて。
 階段をのぼってドアノブを捻る。
 カチャ、とノブが回った。
 鍵が閉まっていない。
 ドアが開く。風が吹き込み、むっとするような空気を僕の背中の方へと押しやった。無機的な光景が目の前に広がっている。
 守谷は?

「御崎くん」

 とても小さな感嘆符がついたような呼び方だった。守谷はドアのすぐ近くに座っていた。その体躯は小さく、日焼けと縁遠そうな肌は日陰の中でより病弱そうな色を見せている。
「お前」
 思わず言葉が詰まる。ここ数日で霧散してしまった言葉や気持ちを必死でかき集めても、何から伝えれば良いのか分からなくなっていた。謝る? 責める? それとももう、何もなかったように振る舞えばいいのだろうか。
「今まで何してたんだよ。学校休んで」
 ヘッドフォンを身につけていなかった。あれだけ体の一部のようにいつでも持っていたというのに。
 トレードマークがない。たったそれだけのことに違和感と一抹の不安を覚えた。
 耳を塞ぐものはなにもないはずなのに、僕の言葉は届いていないようだ。彼は僕から視線を外し俯く。
 いや、聞こえているからこそうなだれる。話したくないから?
 それでも僕は語りかける。
「今日、会えて良かったよ。明日から夏休みになっちゃうしさ」
 彼はうん、とだけ呟く。今日の彼はヘッドフォンを付けていないだけでなく、本すらも開いていない。
 守谷を構成する大きなパーツが二つも欠落している。それが一体何を暗示しているのだろうか。
「この前、悪かったな」
「御崎くんが謝ることはないよ」
「でも」
「僕のほうこそ、ごめん」
 何故守谷が謝るのだろうか。彼は何もしていない。はず。
「騙したりとか、するつもりなかったんだけど」
「騙す?」
 彼はヘッドフォンのことを言っているのか。だから今日も付けていなかったのか。
「怖かったから。誰かに嫌われるのが」
「どうして」
 どうして怖がることがあるのだろう。誰も嫌ったりなんてしないのに。
「僕は、こういう生き方しかできないんだ」
「――お前、何言ってんの?」
「前、言っていたよね。将来何になりたいかって」
 そうだ。翼が転勤するという話を聞いた翌日、ヘッドフォンで耳を塞いでいた守谷にそんな話をしたのだった。
「僕は、御崎くんみたいになりたいな」
 穏やかな声をしていたはずだった。彼特有の、自信なさげで風にかき消されてしまいそうな声。それでいてテレパシーのように脳に響く声。
 甘い言葉は僕の心を焼いて、もっと火照らせても良いはずなのに。まるで凍ったシャーベットをスプーンで削ぐようだ。彼の言葉はさみしい音色に響く。


「僕も具体的に何になりたいとかはよくわかんないけど、御崎くんみたいになりたい」
「なんだよそれ」
「僕は全然器用に生きられないし、御崎くんみたいに友達もいっぱい居て、素敵な彼女も居て、ちょっとだけ悩みもあるけど、嫌な事もあるけど、それなりに毎日楽しめて。将来への不安もあるけど、ちゃんとうまくやれるような。そんな風に普通に生きられる御崎くんが羨ましいんだ」
 尊敬。
 羨望。
 憧憬。
 僕には分かる。いつも口数の少ない守谷が長々と訥々と拙く喋るその言葉にどんな気持ちが込められているのか。その言葉の全ては『自分にはそれが出来ない』という意味を持つ。そしてその棘が彼の心に傷を付ける。
 
「お前は、誰かをうらやむような人生でいいのか?」
 答えは返ってこない。
「変えたければ変えればいいじゃないか。そんなもの。いつだって、いくらだって変えられる」
「……僕と御崎くんは違うから」
「違わない!」
「違うよ。全然違う」
「違わないって言ってるだろ」
「やめようよ、こういうの好きじゃない」
「はぐらかすなよ」
 ヘッドフォンは他人との関わりを断つための壁だった。誰とも関わり合いたくない。でも音楽を聴いていなかったのは、誰かの話を聞いていたかったからではないか?
「ちゃんと、俺の目見て話せよ……」
 この問題から逃げてはいけない。ぶつからなくてはいけない。自分の弱いところと相手の弱いところ、その擦れる痛みに耐えなければ、その先に広がる場所へは出ることができないのだから。
「そうやって、自分と他人は違うだなんて言うなよ。そうやって壁作るの、やめろよ」
「そういう風にしか生きられない人間もいるんだ。御崎くんには分からない」
 とても強い語気だ。吐き捨てるように、突き飛ばすように。

「僕と御崎くんは違う」

 決定的な言葉だった。もう何者をも寄せ付けない、断絶の言葉。

「そんなの、当たり前だろ」

「俺とお前は違うよ。お前はお前だ。俺はそういうことが言いたいんじゃない」
「じゃあ、何?」
「お前にだって、いいところたくさんあるだろ。不器用な生き方しかできないかもしれないけど、そんなのいくらでも変えていける。でも、お前が何か行動を起こさない限り変わらないんだよ。誰かが変えてくれるはずないんだよ。それはお前だけの人生なんだ」
「できないよ。だって、何をしたらいいかも分からない。僕はダメなんだよ。人間としてダメなんだ。何をやったってそう。僕だって、変われるかもしれないって思った事はあるよ。でも結局ダメだった。僕はダメなままだった」
 頑なな彼の心を解きほぐすにはどうすればいいか。彼の自信となる芯をどこに作るか。僕にはどうすればいいか分からない。ただ、僕がそうだったように、彼もまた誰かに求められ、愛されることできっと何か変わる事が出来るのではないか、と。思った時にはもう答えを出して、解答用紙に記した。
 それは磁石のよう。目を閉じているのに僕らの唇と唇は重なり合う。彼の熱を感じながら、瞼の裏に彼の姿を思い描く。驚いているだろうか。今までずっと友達として接してきた人間とキスをされているのだから。
 唇を離し、目を開ける。そこには想像通りの表情をした守谷が居た。
「もっと、自信を持てばいい」
 お前は顔も悪くないから。
 性格だってちょっと臆病なだけだから。
 ほんの少し自信を持てば、きっと世界はお前にほほえみかけてくれるから。

 潤んだ瞳が僕を真っ直ぐ見据えていた。彼の顔がみるみるうちに紅潮する。
 彼は僕を突き放し、鞄を持って、逃げるように屋上から出ていった。

 これで、もう言い訳はできない。けど、後悔はない。
 この問題の答え合わせは誰もできないのだった。




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