※CAUTION※
・同性愛に関する表現が多々含まれます。
・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。
・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。


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 時刻は午後六時少し前。駅前の広場に着くなり、しばらく押し黙っていた彼が急に口を開いた。
「ちょっと僕、用事があるからここで待っていてくれない?」
「何だよそれ。用事?」
 彼はしどろもどろになりつつ言葉を重ねた。
「う、うん。あの、大した用事じゃないんだけど。すぐ終わると思うんだけど、でももしかしたらすごく時間がかかるかもしれないから、だから、三十分くらい経っても戻らなかったら先に帰っちゃっていいから」
「? どういうことなんだよ」
 一体どういう用事なんだ? 先ほどから時間を気にしていたのはそのせいか?
「とにかくここで待ってて。三十分経ったら帰って良いから」
 そう言って彼は駅の方へ走っていってしまった。
「待っててったってなあ」
 日が暮れるにつれこの街は人があふれ出す。波のようなリズムで人が駅の改札から流れて行く様子は何度見ても不思議な景色だ。僕の知らない人がこんなにも居る。それぞれの過去があって、今がある。家庭があって人間関係がある。誰にも言えない思いや秘密を持っているのだが、僕とは全く関係がない。僕が今悩んでいることも、今目の前を通り過ぎた五十過ぎのサラリーマンにはどうでもいいことだ。むしろ僕なんて景色の一つとしか思われていないのだろう。
 じゃあ、僕の気持ちは世界にとってどうでもいいことなのか?
 僕がここに存在している価値って何なんだろう。
「どうでもいいよなぁ、そんなこと」
 世界にとって僕がどうでもいいことならば、僕にとっても世界なんてどうでもいい。五十過ぎのサラリーマンの悩みだって、僕にとってはどうでもいいし、彼をピックアップしたのもただ偶然目の前を通り過ぎたからという理由に過ぎない。
 世界は世界で僕は僕だ、なんてもっともらしいことを言ってみるけれど、実のところ何一つとして理解していなかったりする。




 知らない人だらけの群衆の中に見慣れた顔があった。まるでスポットライトを当てたように、そこだけが鮮明に見える。その人と目があった。
 まさか。そんな。こんな偶然があるはずない。
 雑踏の雑音にかき消され、声は聞こえなかった。それでも僕の頭はアフレコのように彼の言葉を再生していた。
「なおくん」
 翼が僕を呼んでいた。直線のその先に彼が居た。絶対に会いたくないけど心の底から会いたかった彼が、今僕の目の前に歩み寄ってくる。
 だめだ。だめだだめだだめだ。せっかく連絡が付かないように携帯の電源を切っていたのに。このまま忘れようとしていたのに。
「なおくん」
 彼の声が聞こえる距離になって、僕は逃げた。いや、逃げようとした。
「待って。少しだけ話を聞いて」
 彼の大きな手が僕の手首をしっかりと掴んでいた。最後に会ったファミレスの時と同じ。けれど今度は声を荒げる事ができなかった。振り払うことができなかった。
 ほんの短い間会わなかっただけだ。仕事が忙しい時は何週間も会えない事だってあった。けど、今はその力強い感触が懐かしい。
「この前は本当にごめん。俺も少し動揺してて……変な事言って……」
 この期に及んで僕はどういう態度を取るか悩んでいた。冷たく突き放す? 彼の言葉を受け入れる?
「そんなこと聞きたいわけじゃない……」
「なおくん……」
 本当に子供だ。いつまでも駄々をこねて結論を先送りにする。もう何もかも決まっているのに。本当に僕は子供だ。目を背けたところで結論が変わるわけではない。だから向き合わなければならない。それなのに、僕は未だ翼から目を背けていた。目を合わせれば自分の虚勢が一瞬にして崩れてしまう。
「話を聞いてくれる?」
「いやだ。聞きたくない」
「君のことが好きなのは今でも変わらない。だけど転勤はどうしても避けられないんだ。いつ帰ってこられるか分からない。それなのに、まだ若い君を縛り続けることはできない。だから」
 別れよう、と。
「そうやって、いっつも俺の気持ちを無視して……」
「…………………………」
「若いからとか、縛り続けるとか、そんなの翼が勝手に思い込んでるだけじゃないか! 俺の事なんて本当は何にも考えてない」


「俺だって、翼のことは好きだ。嫌なところもたくさんあるし、腹が立つ事だってある。でも、それでも、好きだって気持ちは消えなかった。どんなことをしてもごまかせなかった。それじゃあ俺はどうすればいいんだよ……」
 お互いに好きなのに、一緒に居ることは叶わない。ただ好きというだけでは乗り越えられないこともある。彼に付いていく? 友達も家族も捨てて? 現実的じゃあない。
 どうしてこんなにも遠くへ行ってしまうんだ。

『遠くなんてないよ』

――――――あいつはそう言った。


『だって飛行機ですぐ行ける距離じゃない』

『物理的に行けない距離なんかじゃないよ。それなら、遠いとは言わないんじゃない?』

『好きなんでしょ。その人の事』



「遠くなんてない……」


「遠くなんてない。会えない距離なんかじゃない。頻繁には会えなくても会いに行けないわけじゃない」
「なおくん……」
「途中で上手くいかなくなったら仕方ないよ。でも、お互いが好きだったら、諦めるのは嫌だ」

 寂しさを紛らわすだけの相手だったのかもしれない。自分が独占し独占されることで安心感を得たいだけだったかもしれない。誤魔化すのはやめよう。どちらも間違ってなどいなかった。じゃあ愛しさを感じたことがなかったか? 側に居たくないほどの嫌悪感を抱いていたか?
 それならきっと迷うことなく離れていた。
 認める他あるまい。僕は翼のことが好きだ。それがどんな感情に由来するかは問題ではない。

「ありがとう」
 掴まれていた僕の手が自由になる。
「なんか情けないね。俺の方が年上なのに。もっとしっかりしなくちゃいけないのに」
 僕は翼の方へ向き直った。
「……関係ないよ。そういうのが翼らしいしさ」
「あんまり嬉しくないな」
 その情けない笑顔が好きですと言えば彼は顔を背けるのだ。そういう僕だけが知ってるパターンが嬉しい。


「それより、どうしてこんなところに居るんだよ」
「どうしてって、自分が呼んだんじゃないか」
「……呼んだ?」
 ありえない。彼との連絡手段はこの携帯だけ。その電源を入れていなかったのだから連絡の取りようがない。他の誰かが……

『まだだめ』

 冷や汗が流れる。そう考えれば彼の不審な行動に説明が付く。でもありえない。僕が寝ている隙に携帯の電源を入れ、翼からのメールに返信して僕と翼がここで会えるよう仕向けるなんて、あの守谷にできるか?
 翼という中性的な名前だったことが幸いだ。これが雄々しい名前だったとしたらきっと不審に思っていたことだろう。はっと気付いて周囲を見回した。名前でバレていなかったとしても、今までのやりとりを覗いていたとしたら一巻の終わりだ。行き交う人影があまりにも多すぎて、彼の姿は見えなかった。この場に居なかったことを祈る。



『今日はごめん。会ってちゃんと話がしたい。』という翼からのメールに『土曜日の午後六時、××駅前の広場で待ってる』という返信がしてあった。これが彼の送ったメールだろう。つまり僕と遊びに行くことが目的だったわけではなくて、僕と翼を引き合わせたかったのか。
 何故、という疑問は残る。彼らしくない行動だ。僕が誰と付き合おうが別れようが関係ないはず。結果としては彼の行動が僕らを再び結びつけてくれたわけだけど、彼にとっては何のメリットもない行為だ。
 彼に聞いてみようか、と考えてまた別の思いが過ぎる。彼は僕にどう接してくれるのだろう。いつもと変わらぬあの微妙な笑顔で笑ってくれるのか。もし、万が一彼が同性愛者などではなかったら? 前と変わらずはいられないかもしれない。
 確認する必要がある。もしバレたなら、それなりに手を打たなければ。
 月曜日、僕は登校してすぐに屋上へ向かった。

「や、やあ、御崎くん」
 彼の引きつった笑顔からは答えが見えない。いや、むしろどう接して良いか分かりかねているように見える。
 僕が黙って彼と向き合っていると、彼は耐えかねるように口を開いた。
「この前はごめんね、ちょっと用事が長引いちゃって」
 得心する。そこか。彼が気にしている、いや、気にしている『振り』をしているのはそこなんだ。
「お節介」
「え……なんのこと?」
「しらばっくれやがって」
「しらばっくれてなんかいないよ」
「メールの履歴が残ってるっつーの」
 彼は観念したように首をすくめた。
「……ごめんね。勝手なことしたのは謝る」
「見てたのか?」
「何を? メール?」
「違う。その、翼と会った時」
「ううん。さすがにそこまでは無粋だと思って……。だから結局最後どうなったか分からないんだけど。平気、だったんだよね?」
 否定しないことで肯定を伝える。
 彼が見ていないということは、翼の性別についてはバレていないわけだ。お互い別の事情で緊張していたが、どちらもただの杞憂で終わったことに安堵した。いつも通りの空気が流れ始める。
 僕としては、安心したような、残念のような、何とも言えない気分だった。
 本当は見ていて欲しかったんじゃないか? 僕と守谷が同じであると知って欲しかったんじゃないか?
 まさか。と僕は首を振る。そんな共通項なんて必要ない。今のこの状況が一番心地良いじゃないか。 

「それにしてもお前があんな大胆な事をするとは思わなかった」
「うん、それはもちろん勇気は必要だったけど」

「御崎くんのためだから?」
「……なんだそれ」
「御崎くんには後悔とかそういうの、似合わないから」
 今ひとつ要領を得ない答えだ。彼にとっては何のメリットはない。それどころか少し間違えればプライバシーの侵害とも取られかねない行為だ。それを僕のため、というよく分からない動機だけで実行するとは思えないのだけれど。
「恩返し、みたいなものかな」
「そんなもんかね」
「そんなもんだよ」
 終わりよければ全て良し、と納得するしかない。
 とりあえず確認はできたので、僕は教室に戻る。この学校内における二重生活も結構大変だ。あの屋上はとても心地の良い空間ではあるものの、学校であって学校ではない場所である。なんというか、影踏みでずっと影の中にいるようなものだ。安全圏ではあるのだけれどそこにずっととどまり続けていてはゲームにならない。消極的な勝利だ。
 そもそも彼はどうして教室から離れたがるのだろう?




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