※CAUTION※
・同性愛に関する表現が多々含まれます。
・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。
・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。


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 こんな時でもメープルメロンパンはおいしい。さっくりとしたクッキー生地にくるまれたパンは綿のように柔らかで、その中心には程良い甘さのメープルシロップがたっぷりと入っている。クッキー生地はそれを守っているのかもしれない。形のない不安定なメープルシロップを。
 などとご託を並べたくなるほどに気恥ずかしい。
 いやいや、ハグして泣くくらい今日日高校球児だってする。するはずだ。するに違いない。するだろう?
 彼も視線を外しているし、やはり問題だっただろうか。いや。彼が視線を合わせないのなんていつものことだし。男同士だし、僕は一応ストレートということで通ってるわけだし、彼が気付くわけがないし。だからきっと彼もそんな風に思ってくれるわけだから、でも僕だって実際は違ってそうだからだからええっと
 咀嚼したパンをコーヒー牛乳で流し込み、一息つく。
「なんか、すまん。ちょっと寝ぼけてたんだ」
「……うん、別にいいよ。ちょっとだけびっくりしたけど」
「まぁなんだ。忘れてくれ」
「そうだね。そうするよ」
 彼はそう言ってくれたけれど、そう簡単には忘れてくれないだろう。だが口外するような性格でもないし、きっと彼の胸の内にしまっておいてくれるとは思う。

「お前、授業出たのか?」
「ううん」
「良かったのかよ、それで」
「たまにはこういうのもいいよ」
 僕らは同じ空を眺めていた。あの窮屈な空間の外にはこんなにも清々しい世界が広がっている。それはあまりに広すぎて竦んでしまいそうになるけれど、僕を魅了してやまないものだった。
「遠いよな」
「なにが?」
「札幌は遠いよ」
「…………」
「今でさえ遠いのにさ」
 それは独り言の続きだった。僕の意識とは無関係に、まるで水面へ向かう泡のように僕の口から漏れていた。その泡は空に吸い込まれて消えていくだろう。だから、彼が口を開いたのは意外だったとしか言いようがない。
「遠くなんてないよ」
 確かに彼はそう言った。
「だって飛行機ですぐ行ける距離じゃない。時間がかかっていいならもっとたくさんの手段があるよ」
「そうだけど、でも」
「時差もない。パスポートもいらない。お金はかかるけれど、物理的に行けない距離なんかじゃないよ。それなら、遠いとは言わないんじゃない?」
 正論だった。だが、そんな強気の正論を彼が口にするとは思いもしないことだった。
「好きなんでしょ。その人の事」
「うーん……。ん?」
 やっぱりね、と彼は笑う。僕は慌てて否定してみせるが、もはや手遅れ。
「何で分かったんだよ」
「顔に書いてある」
「……ちぇ、誰かと付き合ったこともないクセに」
 そんな奴にすら分かってしまうほど僕の顔は分かりやすかったということか。しかし先ほどの錯乱も恋煩いの一種だと勘違いしてもらえるならそれでいい。
「正直、好きかどうかなんてわからない」
「でも離れるのは嫌?」
「……寂しいだけだよ。都合の良い相手がいなくなるから」
「そういうの、好きって言うんじゃないのかな」
 好き? 好きって何だ? そんな単純なことすら分からなくなってしまったのか。
 はじまりは何だったろう。
「なおくん」
 人懐こい笑顔で僕に語りかけてきた。年の差を感じさせない子供っぽさは、誰とも隔たりなく接しようとする彼の優しさでもあった。そして、他人に甘えたり素直になれない僕の壁を易々と越えてきてくれた人だった。
 彼のことを生クリームのようと喩えた。初めはその甘さに舌鼓を打つけれど、油は油。その甘さに慣れれば飽きになる。くどく感じる。なのに少し離れればその甘さを求めてしまう。自分勝手にも程がある。
 転勤はもうどうしようもない。だから、辛いなら別れようと彼は言ったのだ。決定権を僕に与えて、罪悪感を薄くする。とてもずるい大人のやり口。でも、それを責めることが僕にできるだろうか。僕だって今後のことを決めて欲しいと思っているじゃないか。必要なのは話し合いだったのかもしれない。お互い納得する形で今後の付き合い方を決めればよかった。
「でももう遅い」
 何もかもが遅かった。
「………………」
「おい、ヘッドフォン貸してくれ」
「え?」
「俺はしばらく引きこもる。何も考えたくない」
「だめだよ。これは僕のトレードマークだから」
「何だそれ」

 結局僕は諦めて、その場にごろんと横になった。眠りはやはり思考停止にはちょうどいい。



 夢は見なかった。隣には守谷がいた。
「おはよう」
「いま、何時だ?」
「四時だよ。もう放課後」
「そうか」
 ずいぶんと長いこと寝てしまった。全身が痛い。
「どうする? もう帰る?」
「あぁ、そうだな。お前は?」
 彼は「僕も帰るよ」と言った。結局一日中彼と過ごしたことになるのか。そうは言ってもほとんど眠っていたわけだし、交わした言葉も数えるほどだ。あまり一緒に居たという気はしない。
「守谷って電車?」
 生徒の六割が電車を使っている。残りの三割が自転車と徒歩で、一割がバスだった。
「うん。御崎くんはバスだっけ?」
「ああ、じゃあ校門まで一緒だな」
 中の様子を窺いながらドアを開けた。誰かのはしゃぐ声は遠い。この様子なら普通に出て行っても気にされることはあるまい。
 それから僕らは他愛のない事を話しながら校門へ向かった。
「今日は……その……悪かったな」
 彼は静かに首を振り微笑んだ。
「それじゃあまた明日」
「あの、御崎くん」
「うん?」
「今度の土曜、どこかに遊びに行かない?」
 突然の誘いに面食らう。不自然な流れではない。ふさぎ込んでる僕を心配して外に連れ出そうとしているのだろう。だが、彼に誘われるとは思いもよらなかった。とても主体的に誘ってくるようなタイプではないはずだが。
「別にいいけど」
「良かった」
 そこまで深刻そうに見えたのだろうか。
 デート、という単語が頭に浮かんで、すぐに消えた。まさかまさかそんなわけがあるまい。

*********


「最近」
「ん?」
「どこ行ってんの?」
 野田がまるで浮気を追及するように言った。昼休みになると何かと理由をつけて席を外す僕を怪しんでいるようだ。
「どこって」
「最近昼になるとすーぐどっか行くよな」
「いや、色々あるんだって」
「イロイロって何よ! もう知らない! ばかぁ!」
「何だよそれ」
「この前溝口が彼女に言われてた」
「へぇ、シュラバ? 色男は大変だねぇ。何したんだよ」
「誤魔化すなよ」
 筋肉馬鹿は細かいことを考えない方が愛されるのに。変なところに敏感になるから始末に負えない。とりあえず適当に冗談ではぐらかそうとすると
「守谷?」
 野田の口からその名が飛び出し、僕の心臓を射貫いた。思わず呼吸が止まる。バレた? まさか。いや、でも、でも、いくら出るタイミングをずらしていたとしても、僕も守谷も教室を離れていることに変わりはない。いや、しかし、僕だって他の連中に紛れて教室を出ているし、この筋肉馬鹿がそれに目聡く気付くとはとても思えない。
「そういうのやめといた方がいいって。ぜってー」
「へ?」
「だから、守谷ってしょっちゅう教室からいなくなるだろ? そういうの」
 首を絞めていた紐がほどける思いだった。つまり野田は教室から居なくなる人間の代名詞として『守谷』という名前を使ったに過ぎない。僕らの関係性に気付いたわけではなかったわけだ。それでこそ筋肉馬鹿だ。それでいいそれでいい。
「あれか! 女だな!」
「ちげぇよ」
「誰だよ。隠すなよ。原か? 原だろ。怪しかったもんな!」
「そんなんじゃないって言ってんだろ」
 実際『男』ならいるわけで、やはり普段からそういう気配を感じるものがあるらしい。誰かと付き合っていることを感じ取ったとしても、それが学外の、しかも社会人という発想には至らないようだ。とは言え、もう僕と翼の関係は終わってしまったから不要な心配である。
「ちくしょう。いいよな。どうせ俺は夏休み中もずーっと部活だしさ。誰かといちゃこら出来るような暇はないんだよ」
「その方が良い。学生のうちはそういうことに打ち込んでおいた方が良いぞ。恋愛なんてそのうちできるんだから」
 それも昔翼に言われたことだった。部活に入っていない僕は自由な時間が多い。根っからの体育会系である彼にとっては理解に苦しむことだったのかもしれない。
 仲間。忍耐。上下関係。拘束。人付き合い。
 そういうのは煩わしい。もっと浅くて良いんだ。今この瞬間に抱いている寂しさを埋めることができれば、長く続くものなんて面倒でしかない。
 しかしなるほど。我を忘れるほどに夢中になることがあるというのは便利な麻酔になるかもしれない。この痛む胸のことも忘れられるのだから。
 空の青さが染みる。
「またまたそんなこと言って。俺からのメール無視するほど彼女といちゃついてんじゃねぇの」
「メール? ああ」
 思い当たる。結局今日も電源を切ったまま。彼からの接触手段はこの携帯に限られている。その唯一の手段を断てばもうそれでお終い。他には直接待ち伏せくらいしかないが、学校も自宅も知らないのでそれも無理な話だろう。
「ちょっと壊れててさ。いま修理中?」
「なーんだ。つまんねぇの」
「悪いな。何か用あった?」
「いや、大したことじゃねぇからいいよ。ただあ、ナオちゃんが何してるのかなーって思ってえ」
「さっきから何だそのキャラは」
「溝口の彼女の真似」
「流行ってんのかよ」
 とにかく話題は逸れた。だが当分の間は屋上で昼食をとるわけにはいかなさそうだ。まぁそれも仕方のないことだ。屋上に行くのは気まぐれであり、特別約束しているわけではないのだし。だけれど土曜のことを考えると最低一度は話しておく必要はある。あいつ、携帯持っているのかな。

 彼とは屋上だけの関係だった。もちろん今も後ろの席に座っているので話しかけようと思えばいつでも話しかけられる。しかし突然教室で彼と仲良くしたりするとクラスの連中からは怪しく思われてしまう。僕と守谷の組み合わせというのは、パンに味噌汁、紅茶に塩、マッチョに長髪というところだろう。
 違和感を覚える組み合わせ。僕自身が守谷の存在を全く認識していなかった通り、影の薄い連中とは一切関わり合いを持っていなかったのだから余計に違和感があるだろう。
 出会いが出会いだ。僕としても追及されたくはないし、ひっそりと教室の片隅で生きている守谷にとっても歓迎しがたいことだろう。
 僕らは変わらず、ただ席が近いというだけのクラスメイトで、お互いの秘密は胸の内にしまっておく。
 僕らの関係はどんな言葉も当てはまらない。友達と言うほど仲良くはない。知り合いと言うほど冷たい付き合いではないし、クラスメイトと言うのは漠然としすぎている。唯一近いものは『共犯者』だろうか。
 それはスリル。出入りを禁じられた屋上へ入ること、そこで未成年の僕がタバコを吸うこと、そして彼のそばにいること。ありふれた日常を彩るひとふりのスパイスだ。



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