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※CAUTION※ ・同性愛に関する表現が多々含まれます。 ・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。 ・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。 →NEXT ←BACK ←MENU **** 約束の時間、約束の場所に現れた彼は、いつもと変わらないように見えた。 「なおくんの制服姿見るの、ひさしぶりだなぁ」 「今日は帰らなかったから」 妙な焦燥感に耐えられず、家には帰らないで真っ直ぐここへ来た。 至って普通だ。一体どういうことなのだろう? よもや単純に定時であがるから会おうというわけでもあるまい。背を向けて歩き出した彼に続いた。 「なあ、今日はどうしたの?」 聞こえているのかいないのか、彼は答えない。追いかけて、その肩をつかむこともできるはずだ。だが、今の僕には何故かそれができなかった。いつもなら簡単にできることなのに、彼の顔を見ることすらままならず、結局ファミレスに着くまで彼と肩を並べて歩くことはなかった。 注文を済ませても彼はどこか遠くをぼんやりと見ているだけで、本題を口にしようとしなかった。 「今日、ずいぶん早く終わったんだ」 「何が?」 「仕事」 「うん、たまにはそんな日もあるね」 お互いにそれから先の言葉は出てこなかった。水を一口含む。なんだか言葉を紡ぐことを恐れているようだった。まるで繊細なガラス細工に触れるのを躊躇うように、壊れてしまうことが恐ろしい。 望んでいたはずなのに? 飽き飽きしていると言ったのは自分じゃないか。向こうから別れを切り出してくれるのなら、それこそ願ったり叶ったりだ。両手を挙げて喜んで、祝杯を挙げて晩餐すればいい。それができないのは何故? 何から何まで矛盾だらけだ。 沈黙が重い。この場から逃げ去ることができるなら、それ以上のことはない。いや、しかし、全く別の事かもしれない。別れ話だろうと端から決めつけているが、必ずしもそうであるとは限らないのではないか? 定時で仕事をあがり、わざわざ呼びつけるほどの理由。 見当たらない。 「お待たせしましたー」 事情を知らないウェイトレスが、きびきびと配膳を行う。 「ごゆっくりどうぞー」 「い、いただきます……」 「あのさ、直くん」 デミグラスハンバーグに今ナイフを押し込まんとしていたところだった。このタイミングで切り出すのか。 「何」 「急に決まったことなんだけど」 喧噪が遠く聞こえた。 「八月から転勤することになった」 「……は?」 「だから、転勤」 「どこに?」 「札幌」 「札幌?」 彼は肯く。札幌と言えば北海道だ。北海道と言えば東京よりももっともっと遠いところじゃないか。高校生の僕にはあまりにも果てしない場所だった。 「それで、どうする?」 「どうするってもう決まっちゃったことなんだろ?」 「そうじゃなくて、これからのこと」 あぁ、そうか。結局予想していたことは当たっていたわけだ。 「転勤って、どのくらい?」 「分からない。最低でも三年は向こうにいると思うけど」 「三年…………」 「やっぱ、無理だよね」 無理って何だ。どうして無理って決めつけるんだ。 でも、恐らくきっと無理だろう。三年待ったとしても必ず帰ってこられるとは言わなかった。三年たてば僕も大学生だ。遠い彼を待ち続けるということが容易いものではないことはよく分かっていた。 「……翼は? 翼はどう思ってるわけ?」 彼は答えない。しばらく黙って、口を開いた。 「ナオくんはまだ若いし、やっぱり」 「そういうこと聞いてるんじゃない。翼がどうしたいのかって聞いてるんだ」 「……わがまま言うなよ」 わがままをきいてくれたことなんてないくせに。わがままを言うのはいつも翼の方じゃないか。 「答えになってない」 ずるい。 「……ごめん」 答えは初めから決まっているのに、どうする? だなんて聞くのは、ずるい。 そして、それが分かっててどうしたい? と聞き返すのはもっとずるい。 「やっぱり、待っててなんて言えないし……俺も、自信、ないし……」 ずるい。 「だから……やっぱり」 いつもはあんなに子供じみた行動を取るのに、こういうときだけそんな真面目な顔をするのはずるい。 「あっそ。そうかよ」 そして 「別れたいんだったら素直に言えばいいだろ。そんなまどろっこしい言い方しないでさ」 「そういうわけじゃない」 本当は別れたかったはずなのに、実際の局面でこんな事を言ってしまう自分が一番ずるい。 「こういうとき」 彼がまるでうわごとのように力ない声で言う。 「俺たちが普通の男女だったら、結婚しようとか言えたのかな」 「なにそれ」 「だってそうだろ」 「俺たちって先がないじゃないか。たとえ待ってたって、結婚とかそういうのがないし、同棲だって、難しいし」 彼の言わんとしていることは何となく分かった。僕らには約束がない。社会的に守らなくてはいけない繋がりが二人の間にはないから、手を離してしまえばふわふわと飛んでいってしまう。 「俺が女だったら、好きになってくれなかっただろ」 だって女に興味なんてないじゃないか。 僕らの出会いだって、本当ならありえない事だった。僕らが同じ性別のひとを求めるから二人は出会った。それなのに、それを丸ごと否定されてしまったような気持ちになる。 大切にしていた何かが。 目を瞑っていた何かが。 暴かれ、冒され、ぐちゃぐちゃになっていく。 通路を挟んだ反対側のテーブルを横目で見ると家族連れがいた。 小さい男の子が無邪気に笑いながらハンバーグを食べている。なんだかとても幸せそうな光景。母親は年相応のきれいさがあって上品だ。父親は少しくたびれているけれど、優しそうな、満ち足りた笑顔を携えている。きっと普通に生きてきたんだろうなあ。高校で彼女ができて、きっと一年くらいで別れて、大学に進んで、何人かと付き合って、友達とも遊んで、社会人になって、世の中の一部になって、あの人と出会って、愛とかそういうものに気付いて、結婚を決めて、幸せのなかで二人、子供ができて、家族というものがやっとそれらしくなって、子供のために仕事も頑張って、そして子供の成長を楽しみにして、そして老いていく。孫ができて、自分の遺伝子がどんどん繋がっていく。 それらは全部僕には保証されていないものだった。僕の将来には予定されていないまるで絵空事のような幸せの姿。 この、目の前にある皿を全部床に落としたら、少しでもあの楽しそうな世界を汚すことができるだろうか? それすらもくだらない。汚すのは一瞬だけ。我関せずと目をそらし、帰り道で笑われ、家に帰ったら忘れ去られるのだろう。そんなの、海の中に墨汁を一滴落とすようなものじゃないか。僕のような人間のできる精一杯の抵抗なんて、世の中では『存在しないこと』と同じだ。 「帰る」 「ナオくん」 「仕事、頑張れよ」 「待って。ちゃんと話しようよ」 立ち上がると腕を掴まれた。 「ナオくんのことが嫌いって言ってるわけじゃない。ただ」 「放せ」 「ナオくん」 「放せよ!」 少し声を荒らげればすぐに手は離れた。声に驚いたからだろうか。世間体を気にしてのことだろうか。 僕は何も言わずに店を出た。 ただ虚しかった。 「驚いた」 「驚いたときはもっと驚いた方が良いぞ」 「珍しいね。僕が居ないときにここに来るなんて」 「そいう朝もある」 翌朝、僕は例の階段で膝を抱えてうずくまっていた。学校を休むのは気が引けるので登校してきたものの、やはり授業に出る気は失せてしまった。無断欠席は何かと不都合が多いので、とりあえず保健室に顔を出し、『登校してから具合が悪くなったので帰宅する』と保健の先生から伝えてもらうことにした。折を見て携帯から家に着いたと連絡すればもう完全犯罪だ。 「鍵、開けようか? 授業は?」 「授業は出ない。今日は一日ここにいる」 彼は「そう」とだけ言うと早速鍵を開けた。手をついて立ち上がると、頭がぐらぐらする。このまま後ろに倒れて転げ落ちてしまえばいいのにという考えが過ぎる。なんとかその気持ちを堪えて扉の向こうへ足を進めた。 湿度のせいなのか心の問題なのか、吹き抜ける風にも心地よさは感じられない。ますます気分が滅入り、ふさぎ込みたくなる。これだけ青い空なのに、今はコンクリートのように灰色だ。 「ゆっくりしてればいいよ。どうせ誰も来ないからさ」 「悪いな」 僕は壁にもたれ、風船の空気が抜けるように力なく座り込んだ。 彼はというと、相変わらずヘッドフォンで耳を塞いで本を読んでいる。いつもなら呆れるところだが、今日に限ってはありがたいことこの上ない。いまは誰にも触れてほしくないんだ。きっと誰かに触られたら、ぼろぼろに崩れてしまうだろうから。 そうか、僕も彼のようにすればいいんだ。ヘッドフォンを耳に当て、うずくまっていればこの世界と隔絶される。誰との繋がりもなくなる。精一杯の拒絶のために、膝を抱えて顔を埋めた。 オフライン。 何もかもから断絶された寂しい世界。今はそれが心地良い。 けど、守谷はいつもこんな世界で生きているのか? 誰かの温もりも知らず、たったひとりこんなところで本を読み、誰とも会話せず、孤独に生きるのか? 「お前ってさ、将来のこととか考えてる?」 「……………………」 「俺はさ、あんまそういうの考えていないんだ」 「だってそうだろ。将来の事なんて分からないよ。今で精一杯なのにさ」 「……………………」 「どうしたらいいかなんてわかんねえよ」 あれだけ飽き飽きだって言ってたくせに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。好きなのか? あんな奴のことが? せいぜい顔が少しマシな程度で、性格は子供みたいだし、愚痴は多いし、面倒くさがりだし、何も良いところが浮かばない。だからずっとイライラしていたんじゃないのか? 別れて清々するはずだと思っていたのに。 「馬鹿だな。いざ本当に別れるとなると駄々をこねるなんて。子供じゃ、あるまいに」 始業を知らせるチャイムが鳴る。そっと顔を上げてみるが、彼が動く気配はない。 「守谷、チャイム」 聞こえていないのだろうか。静かに本のページをめくっていく。チャイムの音すら聞こえないのだから僕の声も当然聞こえていないだろう。立ち上がってヘッドフォンを取り上げる必要がある。でも、今の僕にそれをする気力は残っていなかった。 いいや。たとえ気付かなかったとしてもそれは僕のせいではない。 それに、この距離は心地良い。何も言わず、ただ横にいるだけの関係。寄り添うことはなく、触れることすらないけれど、この少し離れた場所に彼が居てくれる事が、いま唯一の支えとなっているような気がする。 それはきっと彼自身が何も語らないから。とても曖昧な色をしているから。彼が本当はどんな色をしているか分からないから、僕らは彼のことを憶測で語るほかない。そしてそれを何色と呼ぶのかは人によって違い、ある人は彼を根暗でつまらないやつと言い、ある人は彼を寡黙で内気な少年と言い、ある人は穏やかな優しいひとと言うのだろう。 この静かな世界に二人きり。それはさみしく、それでいて安らぐものだった。 僕は柵に囲われた草原に立っていた。周りにはにはたくさんの羊が居た。ここは牧場なんだろうか。その外側で翼がこちらを見ている。僕は柵に近づいて彼に問う。 「翼はこれからどうするつもりなの?」 「俺たちって先がないじゃないか。たとえ待ってたって、結婚とかそういうのがないし、同棲だって、難しいし」 「どうしたらいいかなんてわかんねえよ」 「じゃあね、ナオくん」 「待って! ちゃんと話しようよ!」 「もう行かなくちゃ。飛行機が出ちゃうから」 翼は飛行機にの乗って旅立ってしまった。飛行機雲が空を割る。 「……なにしてんだろ、俺」 「タバコならここで吸えるよ」 今度は守谷がそこにいた。 「御崎くんは、どうして僕のことを構ってくれるの?」 「それは」 答えの出ない問いを自分の中で反芻した。 僕はこんな程度の柵も越えることができない。 「かわいそうって思った?」 「……」 「友達の居ない僕を憐れんだんだ」 「そうじゃ、ない」 「でも、本当に一人なのは御崎くんなんじゃないの?」 「……?」 柵はいつの間にか消え、僕は箱の中に居た。僕と彼の二人きりの世界。 「かわいそうな御崎くん」 「待てよ、守谷! どこに行くんだよ!」 「ばいばい」 彼が蓋を閉めると、箱の中は真っ暗になった。誰もいない。どこにも行けない。ただ一人だけの世界。 彼の名を叫んでも声は反響するだけだった。 彼? 彼とは誰のことだ? 心を閉ざした彼? 子供じみた振りをしていた彼? それは誰だ? でも、もう居ない。誰にも会えない。ここはもう閉じられた世界だから。 かくん、と体が傾ぎ、自分が眠っていた事に気付く。覚醒と同時に背骨に痛みが走る。膝を抱えたまま眠ってしまったのか。今は何時だろう。火はまだ高く、青空の頂点で燦々と輝いていた。 辺りを見回すと、守谷の姿がない。 「守谷?」 声はコンクリートに反射して消えていく。 蝉の鳴き声すらも聞こえない。まるで、世界から誰もいなくなってしまったよう。子供の頃にこんな気分を味わったことがある。休みの日の朝、つい寝坊してしまったら家族がみんな出掛けてしまっていた。それぞれがそれぞれの用があって出掛けてしまっただけなのに、まるで自分を置いてどこかに消えてしまったような感覚。背中の痛みはいつしか心細さにかき消されていた。 「守谷?」 誰もいない。あの心地良い世界は消えてしまったというのか。そんなことがあるはずないのは高校生の僕にはよく理解していた。このドアを開いて階段を下りればすぐにでも確認できることだ。だが、幼い頃に抱いたどうしようもない恐怖が足下から湧き上がり、ドアノブにすら触れることがかなわない。 彼だって消えたわけではない。きっと僕が寝てしまったから教室にもどって授業を受けているんだろう。 置いていかれた。 違う。彼は教室に行っただけ。 辛気くさい顔をしている僕と居るのが嫌になったから。 そんなことはない。考えすぎだ。被害妄想だ。 いま、何時なんだろう。時計は付けていない。携帯を開けば確認できるだろうが、僕は昨日からずっと電源を切っていた。彼から何かしらの接触があることを恐れていた。携帯の電源を入れた瞬間に彼からのメールを受信するかもしれない。それがどれだけ優しい言葉であっても見たくはない。そして、そんなものすら来ていなかったとしてもそれは悲しい。だから僕は携帯の電源を切ったままにしている。 僕は結局何をすることもできず、その場に立ち尽くした。 ノブが回る。 「うわ……」 「守谷……」 「起きたんだ。お腹空いてない? お昼買ってきたんだけど」 彼はパンと飲み物の入ったビニール袋を僕に差し出した。 「購買ってすごく人が居るんだね。僕初めて行ったよ。あ、でもね、これはちゃんと買えたよ」 「御崎くん?」 彼の体は無駄な脂肪もなく、筋肉もない。骨格標本でも抱いているみたいだった。でも彼は骨格標本ではない。ちゃんと生きている。ちゃんとここに存在している。彼の体温と鼓動を全身で感じ取れた。 きつく抱きしめ、僕は少しだけ涙を流した。 そうだ。僕は、ただ寂しいだけなのだ。 →NEXT ←BACK ←MENU |