※CAUTION※
・同性愛に関する表現が多々含まれます。
・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。
・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。


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 あの町から遠く離れたこの街で、再び彼と巡り会う事になるとは思いもしなかった。
 いつも、僕の視線の片隅に居た彼。
 いつの間にか教室から姿を消してしまった彼。
 あれから八年経っているのに、見た瞬間に彼だと分かった。
「守谷?」
 驚いたように、怯えたように僕と目を合わせた。
「……人違い、です」
 その声も、僕の記憶の中の彼と一致していた。
「俺だよ。野田だよ。高校の時同じクラスだった」
「ごめんなさい、急いでいるので」
 振り払うように逃げる彼を、僕は必死になって追いかけた。

 冬のことだった。年の瀬も迫り、深夜には雪が降るらしい。都心の片隅にある同性愛者の街は今日も人々を飲み込み、欲望を胎動させている。
 その中を僕らは走り抜ける。
 誰もが僕らを振り向いた。このまま人通りの多い道に抜けられてはさすがに捕まえられないだろう。
 もう水泳をやめてずいぶん経つけれど、根っからの文化系であったろう守谷には負けるはずがない。
「守谷!」
 服を無理矢理掴んで引っ張った。
 僕も充分息があがっていたけれど、彼に至っては呼吸困難に陥るほどに荒い呼吸をしていた。僕はとりあえず汗ばんだ体を冷やそうと、コートの前を開けて風を送り込んだ。
「どうして、野田くん……」
「やっぱり守谷だったんじゃないか」
 目にはうっすらと涙を浮かべ、白い息をせわしなく吐き出している。同い年とは思えないほど幼い顔つきで、北風に吹き飛ばされてしまいそうなくらい細い体をしていた。十代と言えば信じてしまいそうなほど、まるであの時のまま時が止まってしまったように。
 こんな気持ちになったのは何年ぶりだろう。
「久しぶり……だな」
 彼は逡巡するように目を泳がせ、下唇を噛んでいた。本当ならばこんな場所で出会った知り合いに声をかけるべきではなかった。これがもし逆の立場だったとしたら迷惑極まりない行為だ。今の僕ならばなおさら。
 僕の現状を考えれば、昔の、しかも高校時代の知り合いなんかには声を掛けたくなかった。それでも僕が声を掛け、必死で追いかけたのは、他ならぬ守谷だったから。
 クラスでは目立たない、影の薄いヤツだった。名前すら認知されていなかったほどだ。
 おまけに高校を中退したのでアルバムには影も形も残ってないのだった。
 それでも僕ははっきりと覚えている。
 御崎と喋っている時見える彼の姿。いつも大きなヘッドフォンをして、本を読んでいた。脆弱で儚い、生気のないその姿を僕は美しいと思った。
 自分にないものがそこにあるような気がした。それは見た目の違いという意味ではない。穢れのない、無垢で浮世離れした彼の心。飾らず偽らず、他人と関わることを恐れ、それでいて人の温もりも求めている不器用さ。僕は彼に惹かれていた。
 話した事なんて、ほとんどないのに。
「なんか突然学校辞めちゃっただろ? 俺、結構気にしてたんだ」
 根も葉もない噂ばかりが聞こえてきた。見向きもしなかった連中が彼のことを口にする度吐き気がしたものだ。そしてすぐに誰も気にしなくなってしまったことも腹立たしくて仕方がなかった。
 だからといって僕は声を上げなかった。守谷をかばおうとしなかった。彼のことを何も知らないから。僕の気持ちを悟られたくはないから。
 それは結局、僕が憤っていた連中と何一つ変わらない。
 そんな後ろめたい気持ちを押しつぶすように、僕は彼に話しかけつづけた。
「元気か? まさか、お前とこんなところで会えるなんてな」
 彼の表情は晴れない。
「お前も……えっと、そうなんだろ?」
 なんとなく、女に興味はないんだろうなとは思っていた。だからこそ、こういう形で再会できたことは僕としても嬉しいことだった。

 うれしい?

 冷えた汗が背中を伝う。あの日からの僕を忘れたのか。後ろ指をさされ、日陰を選んで歩かなければいけない自分の人生を、忘れてしまったのか。
 手が震えた。こんな薄汚れた手で、彼に触れることが許されるのだろうか。
「野田くん?」
「あ」
 今更きれい事なんて言っても仕方がない。心が、体が、全てが彼を求めていた。欲望が彼を包むもの全てを暴こうとしていた。
 僕は獣だ。失う物なんて何もない。地位も名誉も人らしい気持ちも。どうせすぐ捨てるような命なら、甘い夢を見させて欲しい。
「なぁ守谷」
「……なに?」
「せっかく会ったのも何かの縁だしさ、これから飲みに行かないか?」
 僕はその晩、薄汚い欲望で彼を穢した。


 擬似的な生殖行動を終えた僕らは、手を繋いだままたくさんのことを語り合った。
 今までのこと、あの頃のこと。生きることや死ぬこと、愛について、自分について、それぞれが持つ言葉の全てを使って話した。
 とても不思議な気分だ。守谷とは高校時代だってこんなに話したことはなかった。お互い何となく存在を知っていて、積極的には関わらないようにしていた。生きている世界が違うと思ったから。所属しているグループが違えば関わってはいけないのだと本気で思っていたのだ。
 僕らを繋ぐ線は確かに存在していたというのに、そんなことも知らずに。
 もしも僕が、自分の気持ちを告白していたら、また別の人生があったのかもしれない。
 僕と守谷が付き合っていて、学校でこっそり愛をはぐくみ、スリルを楽しむような、そんな物語があったんじゃないだろうか。
 いいや、僕にはきっとできなかっただろう。僕に出来たのは、守谷を傷つけたことだけだ。
 御崎と守谷が挨拶をしているのを見て、御崎に話かけられた守谷の顔を見て、胸の奥がぞわぞわするのを感じた。
 僕の見えないところで二人が仲良くしているのは薄々気がついていた。
 どうして御崎が守谷のことなんて気にするんだよ。同情か? 友達が居ないクラスメイトをかわいそうだと思っているのか?
 そんなことをするような男じゃないことは僕が一番分かっていた。
 そこにどんな事情があったのかは分からない。けど、そこには『特別』な関係があることは違いない。
 憎かった。
 僕が好きな守谷を変えてしまう御崎が憎かった。
 彼の孤独を癒すのは僕でありたかった。僕は守谷の事をずっと前から知ってる。御崎みたいに今まで存在すら意識していなかったようなヤツとは違う。ずっと見ていた。だから絶対に渡したくなかった。
 だから。
 一番傷つけたくない人を、一番陰湿な方法で傷つけた。
「そうだよな。御崎がお前なんかと仲良くするわけないもんな」
 そう言って御崎から遠ざけようとした。
 本当は僕が守谷と仲良くなってやれば良かった。三人で仲良くすれば何の問題もなかったはずなのに。僕の歪んだ嫉妬と独占欲とが邪魔をして、うまく繋がるはずだったレールをねじ曲げた。
 そして、ねじ曲げてしまったからこそ、物語は最悪の方向へと向かっていったのだ。

「御崎くんは、僕を応援してくれていたんだ。変わる勇気を、一歩踏み出すことを教えてくれた。僕の場合、踏み出す方向を間違えちゃったけどね」
 踏み出したつもりが踏み外し、奈落の底へ真っ逆さまだったそうだ。
「それなら、変わらない方が良かったんじゃないか? そうすれば、お前はずっとお前のままいられたんだろ」
「きっとそうだね。でも、それが良かったなんて思わない。どっちにしても、いつかはいきづまっていただろうし」
 枕元の間接照明が守谷の白い肌を放課後の夕陽色に染めていた。
 その顔はあの頃の面影を確かに残している。
「あんまりね、長生きしたいと思わないんだ。もう失いたくないものとかもないし、これから先そんなに良いことは待ってないだろうから」
「俺もそう思う。ううん、俺は今すぐにでも死にたいよ」
 凍えるような声で呟くと、彼はこちらを窺うように顔を向けた。そして静かに僕の頭を包み込む。脂肪も筋肉も付いていない彼の体からは心臓の音がはっきりと聞こえてきた。時計の秒針のようなリズムは静かに流れ、僕をまどろみの世界へと誘う。
「死んだら、本当に楽になるのかな」
 眠りの入り口で聞こえた彼の呟きに返事をすることは出来なかった。いや、この世界の誰にも答えられはしないことだろう。
 それでも僕はこの世界よりもずっとマシだろう。せいぜい血の池地獄に行くか、針地獄に行くかの違いでしかないのだ。それならばほんの少しでも楽な方を選ぶ。それでいいじゃないか。苦痛は一瞬だ。一生続く苦痛よりも苦しいことはない。
 逃げるなと言われるのだろうか。立ち向かえというのだろうか。この苦痛は自分の選択が招いたことだから、全ては報いであると、終わらぬ罪で身を焼かれるべしと、罪に身を焼かれたこともない人間が、言うのだろうか。
 僕らはもう人間ではない。人に劣る獣のように、己の欲望のために生きている。生きてる価値なんてない。なら死ぬほかないだろう。
 もうだれも、僕のことなんて必要としてくれない。

「もし俺が、一緒に死んでくれって言ったら」
 彼もきっと、僕の言葉を待っていたのかもしれない。
「死んでくれるか?」

 
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