※CAUTION※
・同性愛に関する表現が多々含まれます。
・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。
・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。


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 僕らは駅前の喫茶店に入った。レトロな雰囲気で、香ばしいコーヒーの香りが漂う店だった。照明は暗く、ひっそりとジャズが流れている。窓際のボックス席に案内されて腰を下ろす。
「こんな店があったんだ」
「知らないの? カトレアってここらじゃ有名じゃん。あたしなんてもう毎日通ってたんだから」
「俺バス通学だったから。こっちの方ってあんまり来なかったんだ」
「そっかー。ここのコーヒーおいしいんだよ。あとねぇ、シフォンケーキ」
「じゃあ俺はこの紅茶とベイクドチーズケーキのセットにする」
「何故!」

 注文を済ますと穏やかな沈黙が訪れた。流れるBGMに耳を傾ける。
 考えてみるとプライベートで女性と二人きりという経験があまりない。何を話せばいいのだろう。いや、別に女性だからどうこうと考える必要はない。普通にしていればいいのだ。普通に。
「原はいま一人暮らし?」
「そうだよ。そんなに大した距離じゃないから、一ヶ月に一度くらいは実家に帰るんだけどさ」
「こっちで就職したんだ?」
「なんだかんだ言って住み慣れた場所だからね。都心は都心でいいんだけど、やっぱりあたしにはこっちの生活の方が合ってるよ」
「そうか」
「御崎くんは? 大学出てそのまま向こうで就職したんだ?」
「うん。俺は原と全く逆。こっちに戻る気はさらさらなかったね。成人式にも出なかったし」
「あぁ、だから会うの久しぶりだったんだ」
 盆暮れ正月も極力近寄らないようにしていた。何度か顔を出したことはあってもせいぜい一日程度の事。帰ったところで喋ることなど何もない。結局のところ現実逃避というか、高校生の家出のようなものだ。逃げたところで問題の解決には至らないのに、背を向けることで一時心は安らかになる。なまじ昔に比べて財力がある分、余計にこじれているのだが。
「あんまり近いとうるさいし。帰りたくないっていう気持ちも分からなくはないかなぁ」
 冷水の入ったグラスを持つ左手に指輪はない。
「原も独り身?」
「まーね。そういう相手も居ないよ」
「クラスの連中は結婚してんの?」
「してる人も結構居るよ。朋子とか百合とか香奈子とか。男子だと川崎くんとか、圭ちゃんとか? あ、そういえば沙也佳なんてもう二人も子供いるって」
 名前を聞く度に彼らの顔が思い浮かぶ。あんな奴らが結婚して、子供なんているとは信じがたい。遠い世界の話だ。

「なんかさ、ピンとこないよねえ」
「ん?」
「自分と同い年の人間が、結婚して子供まで産んでいるなんて」 
 彼女もまた僕と同じ事を考えていたようだ。
 家庭的な雰囲気だし、羨ましがっているんだろうと思い込んでいたのだが、実際のところはそうでもないらしい。
「そうだな」
「もうさ、全然別の生き物だよ。責任とかそういうのがあるってそこまで人を変えちゃうんだなって思う」
「結婚して、子供が出来て一人前ってやつ?」
「うん。あたしはそうだって思う」
 だったら僕は一生半人前。守るものも責任もない。この欠落は一生埋められない。
「御崎くん?」
「ん」
「またしょうもないこと考えているでしょ」
「あ、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」
 そこで店員がテーブルまでやってきた。僕らの前にそれぞれ注文した物が置かれていく。原はコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには七分立てのクリームがたっぷりと添えられている。確かに原のお勧めと言うだけあっておいしそうだ。
 僕は紅茶とベイクドチーズケーキ。フォークを差し込むと、チーズの部分は柔らかく、ビスケット生地の部分はやや固い。口に運ぶとチーズの豊かな香りが広がっていく。スタンダードで変わったところはないが、素朴な味わいだった。紅茶はアールグレイ。深紅の液面からは白い湯気がベルガモットの香りと共に立ち上っている。

「結婚して子供が出来て一人前って思うけど」
 コーヒーのカップに手を添え、その縁に視線を落として彼女は言う。
「いま結婚したいかどうかって言ったらまた別の話だな」
「まだ結婚するつもりない?」
「あたしはね。色々な問題もあるし」
「問題?」
「だって、好きってだけじゃあ結婚はできないでしょ?」
「そんなもんか」
「あれ? 御崎くんってもしかして結構情熱的だったり? 障害があるほうが燃える?」
「そういうわけじゃないよ」
 普通に結婚できる男女なら、結婚することを前提に付き合う物だと思っていた。他人事のつもりで発言したものが曲解されてしまったようだ。
「いいじゃないか、何も今すぐ結婚しなくたって。子供がたくさん欲しいとかなら別だけど」
 子供、という単語を口にした途端に彼女の顔色がすっとくすんだものに変わった。名前を呼んでも反応を見せない。
「そうだね」
 やっと返ってきた言葉は少し消え入りそうな霞んだ声だった。先ほどまでの彼女からは想像も付かない。
「ごめん。何か変な事言ったかな」
「ううん、そんなことないよ。気にしないで」
 彼女は硬い表情のまま笑った。
「御崎くん、いま付き合ってる人とかいるの?」
「…………いや」
「結婚するつもりはない?」
「あぁ。元々、そんなに結婚願望があるわけでもないし。今は、仕事も忙しいし」
「御崎くんはした方が良いよ、結婚」
「どうして?」
 原は「したくない」と言っているのに、どうして僕に結婚を勧めるのだろうか。ちがう。したくないとは言わなかった。『別の話』とか『問題』とかそういう言葉で濁していたし、好きというだけでは結婚できない、と言っていた。
「普通に生きるって大事なことだよ。普通の人がやってることを経験するって大事だと思うの」
「普通、ね」
「御崎くんにはそれができると思うし」
「普通に生きれば幸せか?」
「私はそう信じている」
 そんなわけがあるか。普通に付き合って、普通に結婚して、普通に子供を作って幸せじゃない人間なんてごまんといる。子供に苦しめられる親もいれば、親のせいで苦しめられる子供もいる。その『普通』とは前例が多いために幸せになれる可能性が少々高いというだけ。
「幸せかどうかなんて、人それぞれじゃないか」
 彼女は口を噤んであごを引いた。
「やめよう。久しぶりの再会だろ。別にケンカしにきたわけじゃない」
「ごめん……」
 あの明るい彼女がどうしてここまで頑なになったのだろう。きっかけは確かに僕の一言だった。だが、理由は分からない。
 
『僕は全然器用に生きられないし、御崎くんみたいに友達もいっぱい居て、素敵な彼女も居て、ちょっとだけ悩みがあって、将来のことも人並みに不安で。なんかそういうのっていいなって思う』

 そうだ。この状況はあの時に似ている。見えない壁がそこにある。孤独を押し殺して見えないように隠している。

『……僕と御崎くんは違うから』

 間違えてはいけない。これはやり直しのチャンスかもしれない。届かなかった彼はもう戻ってこないけれど、その僅かな罪滅ぼしならできるかもしれない。

『御崎くんには分からないと思うけど、そういう風にしか生きられない人間もいるんだ』

『僕と御崎くんは違う』

「俺は、好きな人が居ても、一緒になりたくても、結婚はできないんだ」
 周囲の音が全く消えてしまったように錯覚する。不要な情報の一切が僕らの周囲から隔絶されてしまった。ここは、彼女の壁の中。孤独で冷たい、無機質な場所。
「どういうこと?」
「俺が好きになるのは男だけだから」
「――うそ」
「うそじゃないさ」
 カミングアウトは好きじゃない。人は誰もが秘密を持っている。言いたくないことも言う必要がないこともある。それを目の前に突きつけられて「気持ちが悪い」と言える人間は少ない。結局受け入れることを強制しているようで気が引ける。
 けれど、その一つのパーツが揃うことであらゆる事象、行動様式に納得がいくということもある。見えなかったその人の本質が見えることがある。
 擦れる痛みに耐えなければその先の開けた場所には出られない、と思っていたくせに、自分のこととなると臆病になる。本当に痛みを避けていたのは僕じゃないか。それも傷つくかもしれない恐怖ではない。打ち明ければ彼の心も開かれるのは分かりきっていたのに、誰も傷つかないという保証があったにも関わらず僕はそれをしなかった。
 彼がその事をばらすとでも思ったのか? あんな小さな箱庭の中での地位や名誉や風評なんかを気にして、虚飾された自分を祭り上げる必要がどこにあったんだ。
 後悔してもしきれない。だから、ここでは絶対に逃げてはいけない。

「年上の彼女が居るんじゃなかったの?」
「年上の彼氏ね」
「……全然気付かなかった」
「騙すのが得意だっただけだよ」
 何よりも自分を。
「けど、俺はそんなに大したことだとは思ってないよ。普通に生きられなくても良い。さっきも言ったとおり幸せかどうかは自分で決めればいいことだし、他人に出来て自分に出来ない事を比べても意味がないから」
「ご両親は?」
「俺からは何も言ってない」
「だったら、孫の顔が見たいとか言われない? 申し訳ないとは思わない?」
「思わない」
「どうして? 人間は子孫を残すために生きているんだよ」
「違う。子孫を残すために生きている人間なんていない」
 責められているはずなのに、非難されているはずなのに、とてもそうは思えない。救いを求めるような彼女の瞳を静かに見つめて話す。
「みんな、生きたいから生きているんだ」
 遺伝子のプログラムは子孫を残すように出来ている。だから僕のような人間は欠陥を抱えた不良品でしかない。同性愛者に対する偏見や差別は本能的に欠陥品を淘汰しようとしているのかもしれない。だけど、本当に淘汰されないのは何故だ? 人の理性がそれを抑えつけているから。人の人としての価値や権利を認めているから。僕たちは理性で生きている。
 腹が減るのは本能だ。だけど、何を食べるかは理性で決められる。それと同じで良い。種の保存は他の大多数に任せよう。家系などという古い家制度の名残なんて捨て去ろう。そうすれば、僕らはきっと、もっと自由に生きられる。
 凍えるように彼女の肩が震えている。
「私」
「うん」
「結婚を考えていた人が居たんだけど」
「うん」
「私が、子供を産めない体だって分かったら、急に……。一人っ子で、家を継がなきゃいけないしって。孫も見せてあげたいからって。すごく謝られて。泣きながら謝られて」
 僕を責めた言葉は彼女自身に向けられた言葉だったのだ。自分の存在の是非を問うための自問。
「みんな私の事かわいそうって言うの。子供が産めなくなってかわいそうって。好きな人と結婚できなくてかわいそうって」
「かわいそうなんかじゃない」
 とても辛いことではあるけれど、それだけが人の最終目的ではないのに。
「誰も責めたりしないの。あの人も心から謝っていたと思う。私だって、いつかはこんな日が来るって分かっていた。だけど私は私を許したくなかった。私が普通の体だったらこんな目に遭わなくて済んだのに。私の周りの人にも気を使わせないで、彼にもあんなに苦しい決断をさせなくて、親にも人並みの幸せを……」
 それはあまりにも痛々しく、慰めて制止してあげたくなるほどだった。言う方も聞く方も胸が痛くなる。やすりをこすりつけられているように細やかな傷が付くような痛み。けれど傷つくのは表面ではない。内側の一番弱い部分を削るのだ。
 それでも、止めてはいけない。中途半端に傷口を塞いでしまえば中に貯まったものが体内にとどまり続ける。それはまたかさを増し、彼女の心を蝕む。
 彼女は嗚咽を一度飲み込んで、更に続ける。
「私が居なければ良かったのにね。そうすればきっとみんな苦しい思いをすることはなかったよ」
 誰も責めてくれないから、自分を責める。そうしないと自分が壊れてしまうから。慰めることは理解には繋がらない。

「ひどいこと言ってごめんなさい」
「いいよ、気にしてない」
 普通の男女なら、異性愛者なら何の問題もなく生きられる、なんていうのは大きな誤りだ。みんな苦しんでいる。壁にぶつかり、出口を探し、光を求めて彷徨っている。

 彼女は涙をぬぐって顔を上げる。
「話してくれてありがとう。聞いてくれて、ありがとう……」
「礼を言うのはこっちの方だ」
 お互い肩の力が抜けたのだろう。弱々しく笑い合った。
 ケーキにフォークをおろす。砂糖とバターと小麦粉は、僕らの悲しみを少しだけ和らげてくれる。
「一つ聞いてもいい?」
「何?」
「野田くんとはとは、その……そういう関係だったの?」
 これは野田に対してかわいそうだ。僕にだって普通の友達は居るのに、誰も彼もが恋愛対象と思われるのは困る。
「そんなわけないだろ。あいつはストレートだし」
「え?」
 ケーキを突いていた手がふと止まる。

「だって野田くんってゲイだったんでしょ?」


「え?」
「だって、男の人と心中したって噂が……」
「それは、守谷だろう」
「モリタニ? 誰だっけ」
 冷たい液体が足下から徐々に頭へ向かって上がってくる。
「俺の後ろに座ってた奴だよ。休み時間の度にいなくなって、大きなヘッドフォンしてて。ほら、二年の時、テスト終わった後にカラオケに行って、原と話してただろ?」
「うーん。あんまり覚えてない。でも、私は野田くんが心中したって聞いたけど……違うの?」
 自分の鼓動が耳元で聞こえる。そんなはずはない。だって、僕に同窓会の連絡を入れたのは野田だったのだから。……いや、待て。
 かかってきたのは携帯のアドレス帳に登録されていない番号だった。高校時代のメンツとは疎遠になっていたから何も不思議には思わなかったが、僕はただ『野田』と名乗った男を勝手に野田だと思い込んでいたに過ぎない。

 誰だ。誰が野田を名乗って僕に電話を掛けてきた? いや、まだ彼女が野田と守谷を勘違いしている可能性もある。しかし、それならどうして野田が出てきた? 全く関係のない野田が……
「御崎くん?」
「あ、ごめん。何でもない……」
 携帯に残っている着信履歴。あの番号に、電話を掛ければ……





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