※CAUTION※
・同性愛に関する表現が多々含まれます。
・閲覧に年齢制限を必要とする類の小説ではありません。
・「エロがない! ふざけんな!」とか言われるとものすごく困ります。


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 慣れ親しんでいた空気のはずなのに、この町に一歩足を踏み入れるとそれは途端に違和感へと変わってしまった。ここは確かに僕の故郷であることに間違いはないのだが、僕はもうこの地にとっては『お客さん』でしかないのだろう。懐かしさは感じられない。こんな店はあっただろうか、ここはこんな道だったろうか、僕がここにいたときは何があったのだっけ、という戸惑いばかりが浮かんでくる。
 ガラス戸に自分の姿が映る。服装も、顔つきも高校生の僕とはまるで違う、大人になった僕。この町が変わっていたように、僕もまた変わっていたのだ。そして、守谷も……。
 実家には少しだけ寄ってすぐに出てきてしまった。あの場所に僕の居場所はもうない。望んで出てきたのだから寂しさなどはないけれど、ここでもやはり僕は『お客さん』なのである。それが濡れた服のように気持ちが悪く、逃げるようにして家を出た。
 同窓会は明日の二時に学校へ集合となっている。そこで懐かしの学舎を見学した後、他の場所へと移動するそうだ。
 たとえ学校に入れても、僕が一番見たい景色は見られない。一番話がしたい人には会えない。
 それでも、どこかでばったり会えるような期待を抑えきれず、足は自然と高校へと向かっていた。

 高校へはバスを使って通っていたが、歩いても三十分程度で行くことができる。あの頃、窓の外であっというまに過ぎ去ってしまった景色を、今はゆっくりとなぞっていく。しかしながら、どれだけなぞったとしてもそれはもはや意味を持たない、記憶との相違が露わになるだけ。記憶との不一致を淡々と確認するだけで、回顧ではあっても懐古にはならないのだった。

 校門も、校庭も、校舎も変わっていない。盆休みの学校は運動部も活動していないらしく、水を打ったように静かだった。校門には厳重な施錠が施されている。乗り越えられないこともない。だが、乗り越えたところで向こう側に彼は居ない。
 あの、唯一僕と彼が繋がっていた屋上に入ることはもう二度とないだろう。たとえ校内に入れたとしてもあの扉を開くことはもうできない。そして、彼自身の心も永久に閉ざされたままとなってしまった。何もかもが手遅れだったのか。あの時、もっと強引に引き寄せれば、僕が同性愛者だと言ってしまえば、もしかして今僕の隣に居たのは彼だったかもしれない。心中なんてさせずに、あのか弱くてどこか儚くて、愛おしい笑顔を見せてくれたかもしれないのに。
 この悲しみを、彼の喪失を心から悲しんでいる人間は、この世界にどれほどいるのだろう。少なくとも、これから僕が会う人々の中には居ないはずだ。
 無理もないさ。僕だってはじめのうちは彼のことを認識すらしていなかったのだから。
 影が薄くて、居るのかどうかも分からない。あんな風に笑う事すら誰も知らない。本当はとてもいいやつだ。誰かと繋がることにおびえているだけで、根はとても優しい、生まれたままの清らかさを持ったやつなんだ。
 だから壊れてしまったんだろうか。あの柔らかな肌は世の中を渡るにはあまりにも脆すぎる。そして一度感じた痛みは彼の中で恐怖となり、些細な傷すらも恐れるようになる。
 心中、というのもどこか彼らしい。死にたいけれど、その一歩を決断するだけの力はない。誰かに後ろから押してもらわなければ何も変えられないのだ。それは僕にとってはどこか歯がゆく、もどかしさを覚えた。


「僕と御崎くんは違うから」
 違わないよ、守谷。俺とお前は同じだった。
 彼は求めていた。存在の肯定、自分がここにいてもいいということ、他人から求められるということ。
 そう思ったからキスをした。誰かと繋がることは怖いことや痛いことだけではないと伝えたかった。
 おかしな話だ。そんな安い同情で彼が救えるはずがないのに。
 愛し愛されていた僕から施される同情など、彼を傷つけただけなんだ。
 自分の浅はかさが呪わしい。純粋に残酷に彼を痛めつけた。一度ならず二度までも彼の心を引き裂いた。

 後悔しても彼は帰ってこない。本来僕を責めるべき人は、もうこの世にいないのだ。その事実を知るのはこの世界に僕一人だけ。たったふたりの世界で、片方を殺してしまったら、誰がもう片方断罪するというのだろう。
 ああ、神さまどうか、この身に重き天罰を。そんな台詞も滑稽だ。
 こんな時にだけ神に縋り付くのはあまりにも都合が良すぎる。裁かれないことが罰だとでも言うのか? そんな無慈悲なものがあるならば、この世はやはり素晴らしい世界などではない。

 同窓会も憂鬱になってきた。
 守谷の事は知りたかったが、聞いたところで面白おかしく脚色された噂話でも聞かされるのが関の山だろう。
 そして彼らの自慢話だけを延々聞かされるのだ。これから先、人としてのステップが確約された彼らとの違いを見せつけられ、自己嫌悪に陥る。
 自分でも割り切っているつもりだった。結婚や子供を作ることだけが幸せではないと考えているつもりだった。
 でもそれは、もしかしたら穴に落ちて「これはこれで面白い」と開き直っているだけではないのか。穴に落ちなければもっと先に進めたかもしれないのに。他の美しいものを手に入れられたかもしれないのに。
 彼もそうだったのだろうか。僕が目をそらし続けてきた問題に気付いてしまったのだろうか。

 もう帰ろう。ここはもう僕の居場所にはなりえない。
 このままこの町を去ろうか。
 守谷の事も忘れ、普段の生活に没頭すれば開いた古傷もまたすぐに癒えるだろう。踵を返し、その場を去ろうとしたその時だった。
「御崎くん?」
 トーンの高い声が僕の名を呼んだ。
「御崎くんでしょ?」
 振り向けば、そこには女性が立っていた。背は少し低く、卵形の顔をしていて、わずかに茶色がかった髪もシニヨンに結わいているので、どこか幼い印象だった。
「ほら、あたし。原! 高校の時三年間同じクラスだったよね!」
 近づいてきた彼女は目がぱっちりとしていて、ピンク色のチークがよく似合う肌だった。原。そうだ、思い出した。記憶の中の原と目の前に居る女性とがリンクした。
「あぁ、原か。びっくりした」
「久しぶりだね! 元気してた?」
「うん、まぁそこそこ」
「御崎くんも明日同窓会来るんでしょ?」
「え、えっと」
「あたし、なんか懐かしくなっちゃって。そしたらじっとしていられなくてここに来ちゃった! 御崎くんも?」
「……うん、まぁそんな感じかな……」
 彼女の猛烈な快活さに思わず圧倒されてしまった。確かにいつもどんな時も笑っている子だった。熟しきれていない柑橘類のように爽やかで、他の女子特有の甘ったるい性的なにおいを感じさせない。だからこそ僕は彼女と仲良くできたのかもしれない。
 それは今も変わらないみたいだ。
 何事にも臆することなく、どんな人とも仲良くなれ、だから、守谷と仲良くしてもらえるように頼み、そして……

 僕らは肩を並べて正門の向こうにそびえる校舎を眺めた。
「粋なことするよね。高校で同窓会なんてさ。まぁ二時間くらいしか居られないみたいだけど。今日って部活とかしてるのかな。もうずっと部活にも顔出せてないから知ってる子なんていないんだけど」
「原はなんの部活だったっけ」
「あ、吹奏楽部。最近はあんまり良い成績じゃないみたい。だからこそあたしたちがさ、もう少し指導したいんだけど。そういうのってけっこうウザいでしょ。あたしも仕事で忙しいし。そしたら何か疎遠になっちゃった」
「そうか。やっぱりもう、ここは俺らの学校じゃないんだな」
 ふと彼女の言葉が止まった。小首をかしげながら僕を見上げている。何か変なことを言ってしまっただろうか。
「面白い事言うね。御崎くん」
「そう?」
「だってそんなの当たり前じゃん。学校はさ、借家みたいなものでしょ。三年間だけ自分の居場所があって、その後はその居場所を新しい誰かに譲るってだけ」
「居場所なんて初めからなかった?」
「えー、御崎くんってこんなに辛気くさいやつだったっけー?」
「どうだったかな。でもまぁ今の俺はこんな感じだよ」
「――確かにあたし達の居場所はもうないけど、ここにあたし達が居たっていうことは事実でしょ。なら、それはあたしたちの学校ってことだよ」
 満面の笑みでそう答えた。僕には到底できそうもない考え方だ。彼女は固く閉じられた正門の格子を掴み、その隙間から中を覗いた。
「入ろうと思えば入れないこともないよね」
「やめておいた方が良いと思うぞ」
「でもちょっとくらいなら大目に見てくれるって」
「そんな事言ったってお前スカートじゃないか」
 自分の服装を確認し、『忘れてた』というように肩をすくめて笑ってみせた。その姿に僕も僅かに顔をほころばせていた。さっきまであれほど深く冷たい闇の中にいるような気分だったのに、ほんの少しだけ気が紛れていた。
 そうして僕も守谷のことを忘れていくのだろうか?
「しょうがない。明日には入れるんだし良しとしよう。御崎くんはこれからどうするの?」
「いや……特に何もないけど」
「そっか。じゃ、また明日だねー」
「ああ」
 原はかわいい。決して美人な部類ではないけれど、愛嬌のある顔をしているし、なにより年月の隔たりを感じさせない気さくさがとても魅力的だと思う。だからといって僕が彼女に劣情を抱くことはない。それは僕が普通ではないから。
 もしも僕が普通だったら、どうしていただろう。
「原」
「うん?」
 考えた時にはもう言葉は口からこぼれていた。
「もし何か用がないなら、しばらく付き合ってくれないか」
「うん、いいけど」
 彼女は不思議そうに頷いた。





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