NEXT
PREV
MENU



 それからのマールトはとんとん拍子で栄光の階段を駆け上っていった。一足飛びでインディーズチャートを登り詰め、ワンマンライブは大盛況。首位獲得をする頃には待望のメジャーデビューも決まった。
 僕の感性が正しかったことが証明されたようで、少しだけ誇らしい気分になった。
 マールトはこれだけ変化と成長を見せているというのに、僕らといえば惰性のままに三年へと進級したくらいのものだ。二年から三年への進級時にクラス替えはないので高樹とも同じクラスのまま。写真部の方も新一年生が二人入ったものの、早速幽霊部員と化してしまった。名目上僕らが卒業しても部そのものは存続する形となったが、もしこのまま彼らが部活に来ることがなければ扇浦一人だけの部活になってしまう。
「中途半端なのに来られるよりはずっとマシです」
 などと本人は全く気にしていない様子だけれど。

 いつまでも、僕らはこのままではいられない。

 一学期も半ばを過ぎ、やれ進路相談だの模試だのなんのという話も本格的になっているが、そんな話もろくに聞いていられない。僕にとってはマールトのメジャーデビューの方がよっぽど今話すべき話題だ。
「メジャーかぁ。メジャーねぇ」
 複雑な心境ではある。これからも定期的にマールトの曲を聴くことができると考えればそれは喜ばしいことだし、それで彼らの生活が保障されるのならなお嬉しい。
 けれどメジャーになればより『売れる』ものを作らなければならなくなるのではないだろうか。メジャーデビューから方向性が変わってしまうなんてこともよくある話だ。不安がないと言えば嘘になる。
 何より、知名度が上がれば僕らだけのマールトというわけにはいかない。
 ファンとして喜ばなければいけないことでも、ファンだからこそ素直には喜べないこともある。娘を嫁に出す父親の気持ちだろうか。別に、マールトを育てた覚えはないけれど。
「どう思うよ。やっぱり何か変わっちゃうのかな」
「あぁ、うん。どうだろう」
「曲だってさ、そりゃ同じようなものばっかり作るわけにもいかないのは分かるんだよ。『ぼくがもしも月並みな幸せに走りそうになったら』とかは結構冒険だったと思うけど、あんな風に成功するとは限らないし。でもなぁ。マールトの曲を聴く機会が増えるならそれはやっぱうれしいじゃん。だけどさぁ」 「うん」
 異変に気付いたのはその時だった。僕の話をまるで聞いていなように生返事ばかりを繰り返している。
 喉に何かを詰まらせたみたいに、歯の奧に詰まった物を気にするみたいに、他の何かに全神経を向けているようだ。
「――――どうかした?」
 高樹は言いよどんで目線を泳がせた。何か言いたいことがあるけど切り出すタイミングがつかめない、という心境が額に浮かび上がってきた。
「何だよ。そんなに言いにくいことなのか?」
「言いにくいっていうか、なんていうか……」
 あまり良い話ではないだろうことは予想できる。辛気くさい話なんてご免だが放置してややこしいことになるのはもっとご免だ。せいぜいあと一押し二押しくらいだろう。
「早くゲロっちゃえよ。何だよ」
「ん、んー」
「おしえてくださいおねがいします」
 そこまで言って、ようやく彼はその口を開く。
「俺さ、彼女ができたんだ」
 かのじょ。かのじょ、という単語を当てる漢字を僕は一つしか知らない。知らないけれど、僕の頭の中では言葉とその漢字との一致にしばらくの時間がかかった。
 彼女? 高樹に彼女? 恋人、という意味で?
「まじ?」
「まじです」
「誰? 同じクラス?」
 高樹が特別仲良くしている女子は覚えがない。話しているところも見たことがないかもしれない。案の定、高樹は首を横に振る。
「五組の那須って知ってる?」
 聞いたことさえなかった。そもそも僕らは一組で、五組なんて教室も離れていれば合同授業さえ一緒になることはない。男子だってろくろく顔を知らないのに、女子など更に未知の領域。深海魚のようなものだ。
 照れからくる彼の途切れ途切れの言葉を要約するとこういうことらしい。
 知り合ったのは去年のこと。場所は、月に一度ある部長会。九月までは三年の部長が多い中、高樹と那須さんという子は唯一の二年の部長だったらしい。それ故に席も隣同士で、聞けば彼女が所属する茶道部も一つ上の先輩が誰もいないという写真部と同じ境遇だった。それがきっかけで仲良くなり、ささやかな交流を続けて今に至るというわけだ。
 受験を目前にしての告白とは自殺行為のように思えるが、そういうものをエサにがんばれるタイプの人間なのだろう。
 それにしても。それにしても。
「高樹に彼女ねぇ……」
「俺もまだ信じられないよ」
 遠慮がちに笑っていた。彼女のいない僕に気を使っているのかもしれない。確かに僕は面食らっていた。ショックを受けていた。高樹に彼女ができた。ただそれだけのこと。喜ぶべきことなのだろう。しかし喉につかえるようなもやもやとした気持ちがどこからともなく湧き上がってくる。
 何故?

「まぁ良かったじゃん。これからバラ色の高校生活が始まるわけだ」
 また困ったようにあと一年もないけどなと言って笑う。けれど、心の底では舞い上がっているのが見て取れる。初めての彼女だ。自分が認められたと言うことだ。誰かに求められて、必要とされて、好意を持たれている。
「で、どんな子? かわいい?」
 どうでもいい。
「うん、まぁまぁかな」
 興味ない。
「写メとかないの?」
 見たくない。
「いや、ない」
 マールトの話がしたい。
「今度撮ってきてよ」
 いいや、他の話ならなんでもいい。
「いやいや、無理無理」
 でも、高樹は聞いて欲しいんだ。
「女子ならあれだろ、プリクラとか撮るんだろ?」
 彼女のことを喋りたいんだ。
「でもプリクラって詐欺じゃん。全然別物じゃね?」
 喋りたくてしょうがないんだ。高樹は自分のことを語るのが苦手だから、本当は自慢したい事でも口に出せない奴だから。いつも誰かに褒められたくて、注目を浴びたがっているけれど、自己評価が低くて、自分にそんな価値はないと思い込んでいるから。けれどそれでも卑屈にならず、誰かの成功や幸せを心から祝福できる奴だ。
 だから僕はちゃんと彼のことを認めてあげなくちゃいけない。喜んであげなきゃいけない。彼が口にしたい事を僕が聞いてあげなくちゃいけない。
 けど、僕は高樹のようにできた人間ではない。
 だから、もう認めてしまおう。
 この熱く、苦しく、醜く身を焦がす、胸焼けのように不快な感情。
 それは間違いなく嫉妬だ。そしてそれは、彼女ができて羨ましい、とかそういう類の物ではない。
 では――――
「どうかした?」
「いや、何でも」
 取り繕った笑顔だったけれど、ちゃんと笑えていただろうか。

 ガラガラと音を立て、僕らの中の何かが変わっていく。
 誰も、何も、待ってはくれない。
 君が君でなくなって、僕が僕でなくなってしまう。
 そんな音が、静かに響いていた。


NEXT
PREV
MENU

gallery
top