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 指折り数えて待つ日というのは瞬く間に訪れ、嘆息の出るカウントダウンはじりじりと時が進む。この場合はどちらなのだろう。待ち遠しくもあり、来てしまうのがもったいないという気分でもある。
 もちろん、嫌な事が待っているという現実もそこにはあるのだけれど。
 どちらであっても等しく時は過ぎてゆき、ライブ当日を迎えた。
 案の定、高樹の顔色は優れない。
「俺、このライブを見終わったら徹夜で勉強するんだ……」
 などとうわごとを呟いている。その台詞が何を意味しているかということを理解した上での発言だろうけれど。正直、僕もこのライブが気になって勉強に集中できなかったのも事実。本当に徹夜で勉強したいところなのだけれど、それが叶うとも思ってはいない。最悪明日の朝に起きて勉強することにしよう。
 何はともあれ、本物のマールトに会う事ができる。それだけで鼓動は高まりを極めていた。
「いよいよだよ。いよいよ生マールトだよ」
「落ち着けよ」
 などと高樹を諫めながらも、内心では湧き上がる期待に全身が震えている。落ち着いてなどいられるわけがない。

 開演まであと少し。マールトの順番はだいたい一時間後くらい。会場の小ささの割に結構な人が入っているように感じた。この中の何人がマールトを目当てに来たのだろう。時折聞こえる会話の中にマールトを連想させる単語は見つからない。正直居心地はあまり良いものじゃない。お世辞にも綺麗とは言えないライブハウスは妙な圧迫感があって、観客の熱と染みついた煙草のにおいに押しつぶされてしまいそうになる。
「なぁ、藤埜。まだ?」
「まだ……じゃないか?」
 会場を満たすファンと僕らの間には大きな隔たりを感じる。それは物理的な距離であったり、感情の温度差であったりする。開演すると観客の歓声が沸き上がり、リズムに合わせて体を揺すり、拳を突き上げ人差し指を立てる。その行為に一体どんな意味があるのだろう、と冷ややかな目で見てしまう。
 マールトの曲は大好きだ。それを生で聴くことができるのだから、それはとても感動的なことだろうと思ってはいるけれど、目の前の彼らのようにステージと一体化することはできるのだろうか。
「なぁなぁ藤埜。あの人差し指立てるのってよく見るけどどういった意味があるんだろうな」
「さあ……。お前がナンバーワン、みたいな?」
「なにそれ」
 だから分からないんだってば。

 いよいよマールトの出番が来た。直前のバンドはなかなかの技量で会場を湧かせた。人の波は熱を持ち、後方の僕らまで圧倒する。それぞれ目当ては違えども、目の前で響く音楽に打ち震えているようだ。
 メンバーが舞台へ立つ。照明に照らされ、彼らの表情が鮮明に浮かび上がった。声や演奏だけしか知らなかった彼らの姿が今僕らのすぐ近くにある。緊張でもしているのだろうか。こみ上げてくる何かを堪えているかのように口は真一文字に結ばれ、どこか怒っているようにも見える。
 ドラムのスティックがリズムを取り、演奏がいきなり始まった。メンバー紹介も曲紹介もない。けれど僕らにはすぐその曲が分かる。
 爆発するようなイントロ。ギターのコード。ベースのリズム。ドラムの振動。
「デバウアだ」




デバウア

  灼け付く喉の掠れた痛みを頼みにした時があり
  頭を抱えてみてもその歌は輝いて
  レンズの奥に譲れない光があった僕は今や最早
  肥らせた根を痩せ枯れ萎えさせて要らん肉と皮を剰す

  詠う心に嘘はないのに
  仕舞い込んだらいつも偽物

  赤いギターの重みの意味などただ詮無いから求めない
  僕はあれが好きでそれも好きでだからまだここで命を喰らう

  理詰めの箱に押し込めた孤独の首を落とした末に
  鈍くも揺らめいてその夢は輝いて
  いつの間に利口になった眼が眩しい光で塞がれて
  見渡した場所は何も見えない何も刺さらない何も痛くない

  叫び出したいこの気持ちには
  耳塞ぐ音を絡めたいのに

  赤いギターの重みの意味などただ詮無いから求めない
  僕はあれが好きでそれも好きでだからまだここで命を喰らう

  同じ痛みなんか感じてやらない
  安い言葉と舌を絡めて
  僕にならん僕をぶち撒いても
  僕だけの声が僕だけの心が
  まだここで命を


  刻まれて
  忘れていく
  満たされた
  寂しさ 
  大好きな
  空白
  限りない
  輝きと
  轟きに
  飲み込まれた
  僕





 演奏も、歌も、何もかもが聴き慣れたCDより劣っている。素人が聴いても分かるくらいに失敗したところが分かる。でも。それでも。
 体で聴く音楽がこうまでも僕を魅了するとは。音が、声が、僕の体をすり抜けていく。心臓のリズムをかき乱していく。息を吸っても酸素が希薄で、目まぐるしく変わるライトに頭がくらくらしてきた。それでも僕らは右手を突き上げ体を揺らす。演奏はできないけれど、歌は唄わないけれど、そうすることで僕らは一つになることが出来る気がした。
 あのどうしようもなく強固に感じられた観客との距離も、今はない。
 なんだ、とっても簡単なことなんだ。何も考えなくて良い。それは本能的な反応で、寝返りをうつように体が求める自然な動作なのだった。

 歓声が落ち着くと、ボーカルの本多さんは挨拶とメンバー紹介を始めた。低くてくぐもったしゃべり方だったけれど、ほんの少し呼吸が乱れて興奮しているのが見て取れる。頬の筋肉が緩んでいるのが分かる。彼らは本当に人間だった。顔の見えない、声や演奏だけだった彼らは今実体を持ってそこにいる。彼らは虹色に光る円盤なんかじゃなかった。
 小さいけれど輝く舞台の上で、僕らと同じ空気を吸っている。駆け寄れば触れられる距離にいる。
 リピートボタンを押せば全く同じ歌を演奏を披露してくれる円盤のマールトとは違う。今この瞬間しか聴けない歌だ。

 輝きと、轟きに、僕らは飲み込まれた。



 ライブハウスを出ても、頭の中でマールトの曲が鳴り響いている。思考はただ歌詞を追うだけで、他の一切は何も思い浮かばない。ある意味放心状態である。
 何と言えばいいのだろうか。全く日本語を忘れてしまったように言葉が浮かんでこない。
 まるで彼らの一瞬の輝きを延々とリピートする機械となってしまうかのように。  そんな僕らとは対照的に前を歩く三人組はライブの話を延々としている。そのほとんどは僕らの知らないバンドの知らない曲のことで盛り上がっていた。その感動が僕らに伝わってくることはなく、ただ言葉の羅列として、BGMとして僕らの耳をかすめていった。
「あのマールトも結構良かったよね」
 マールト。
「うん、まだデビューしたてなんだっけ」
「ボーカルちょっと格好良くなかった?」
「それは分かんないけど、でも歌は結構良かったよ」
 僕と高樹は互いに目を合わせる。
 全く知らない誰かの口から、僕らだけの共通言語だったマールトという単語が出て、感想を言っている。しかし話題はすぐに違うバンドのことになってしまった。
 ほんの一瞬。けれどこの人達はマールトのことを好ましく思ってくれた。まるで僕らが認められたようで、熱い気持ちが溢れそうになる。そんなこと本当は全く僕らに関係ない。けど、僕の好きな音楽が認められたということは、僕の、いや、僕らの感性が間違っていなかったということ。
 無意味に高樹を小突く。にやにやと笑う高樹に小突き返されて、更に小突いて、逃げる。僕らは賑やかな夜の街を走った。言葉もなく、ただ笑って、何がおかしいのか何が嬉しいのかも分からなくなるくらい。狂ったように、体中の酸素がなくなってしまいそうになっても、根拠のない充足感が僕らを突き動かしていた。

 

 無論、翌日のテストが惨憺たる結果であったことは、言うまでもない。
 勉強量がどれだけ足りていても、集中力が欠けていれば何の意味もない。
 結局あれから高樹の従兄の部屋に行ったけれど、一睡もできなかった。マールトの事、日々のこと、学校のこと、写真のこと、その他のこと、ありとあらゆる事を語り明かした。
 テンションだけは高かったけれど、結局僕らは睡魔には勝てなかった。
 扇浦には散々馬鹿にされ、高樹はいくつかの追試とレポートの提出を課され、僕も数学の追試を受けることになっても、何ら悔いはない。
 テストよりも優先すべきことは確かにこの世にある。
 僕はあの夜のことを生涯忘れることはないだろう。

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Special Thanks 升さん(THE NEVER-ENDING WHY

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