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 六月に入ってすぐ、マールトはファーストシングルを発売した。僕らにとってはとても急なリリースに思えたけれど、元々『≠』自体が一月に発売されていた事から考えるとそこまで早いリリースというわけでもないかもしれない。
 曲目は三曲。その内二曲がミニアルバムと似たテイストのロックチューンで、最後の一曲は意外にもバラードだった。
「結構良いな」
「だろ?」
 と自信満々な笑顔を見せたのは意外なことに高樹の方だった。そもそも僕はシングルが発売されていた事すらも知らないのだ。朝、電車に乗ってきた高樹が満面の笑みでCDを差し出してきた時は思わず面食らってしまった。
 もったいないのでいつもCDプレイヤーを持っていたのは正解だった。電車に揺られながら、マールトの音楽に身を浸す。今度はきちんと詞にも意識を向けた。
 とても不思議な歌だった。切ない、のだろうか。とても優しく響くのに、自分の甘さを責めるような。それにしても
「タイトル長い……」
「えっと、『ぼくがもしも月並みな幸せに走りそうになったら』だっけ」
「覚えてるんだ」
「当たり前だろ?」
 もう幾度となく聴き込んでいるのだろう。最初の歌い出しがそのままタイトルになっているから。
「高樹はどう思う?」
「この歌?」
 僕は高樹と話がしやすいよう、彼の居る左側のイヤフォン外し、首肯する。
「良いんじゃないかな。すごく、良い歌だと思う」
「やっぱり?」
「デバウアのさ、ガツーンと来るのも良いけど、こういうしっとりしたのもハマるよな」
 高樹は僕が外したイヤフォンを自分の左耳に当てる。当然高樹の顔が近付き、肩が触れた。
「アホ。聞きづらいだろ」
 イヤフォンを引っ張って高樹の右耳と、僕の左耳とにそれぞれ当てた。
 新しいマールトの音楽が脳内を駆け巡る。激しく強く、けれどしなやかに。そして最後は優しく柔く、けれどしっかりと。ギュルギュルと音を立てて一曲目へジャンプし、延々とループする。
 彼らの音楽性からバラードというのはあまり想像できなかったけれど、こうして実際に聴いてみるとなかなかのものだ。
『ぼくはぼくでなくていいから』というリフレインで曲は終わる。

「それでさ、これ。ライブやるんだって」
「へぇ。どこで?」
「よくわかんないけど、そんなに遠くないと思う」
 高樹が差し出したチラシには日付や時間と場所が書いてある。マールトだけではなく、いくつかのバンドが合同でライブするらしい。ふと、その日付にデジャヴを感じるが、思い出せそうで思い出せない。楽しみな物でなかったことは分かるが、感情と記憶とがはっきりと繋がっていない。
「行ってみない?」
「ライブに? 俺ライブとか行ったことないんだけど」
「俺だってないよ!」
 誰かの誕生日? 学校行事? テスト? 時期的には期末だけれど。どうだっただろう。万が一そうだったとしても、最終日なら行けないこともないだろう。僕らも来年は受験生。楽しむならばきっと今しかない。

「期末考査初日の前日ですね」
 扇浦は何のスケジュール表を見る事もなくばっさりと言い切った。スケジュールが頭にたたき込まれているのか? 実際扇浦の成績について尋ねたことがなかったけれど、クレバーな雰囲気の通り頭の良い人間なのだろうか。
「来月のことですよ。そのくらい意識してくださいよ」
「うっそだー。俺の記憶じゃあもうちょい前だったと思うんだけどなぁ」
 ちなみに高樹の脳みそがどの程度のレベルなのかは言うまでもない。
 となるとやはり今回のライブは見送るべきだろう。
「となると――試験は諦めるか」
 危うくそうだな、と相づちを打ってしまうところだった。試験? 棄てるべきはそっちか?
「……高樹。それは言い間違えだよな」
「そうですね。正常な判断能力が失われていないなら諦めるのはライブの方でしょう」
「間違えてなんかないぞ」
 日本語の間違いでないのなら、お前の思考の誤りだ。
「よく考えてくれ。テストの一つや二つ、落としたところで何だって言うんだ?」
「ちなみに期末は一日三科目です」
「しかも大概初日ってヘビーなんだよな」
「マールトのライブは! 今しか見られないんだ!」
「これからますます機会は増えると思うぞ」
「それに単独ライブってわけじゃないんでしょう。行く価値あります?」
「あるに決まってるだろ! これは貴重なライブだ! 今後成長する彼らの巣立ちの瞬間を! この目に焼き付けてこそのファンだろう!」
 高樹の熱弁が虚しい。何て言ったって、彼馬鹿だから。得意科目英語だけだから。そしてそれを一番よく分かってるのは本人だ。
「テストなんかな、追試を受ければいいんだよ!」
 馬鹿だ。馬鹿の発想だ。
「そういえば中間でも泣きを見てましたっけね。高樹さん」
「一年の一学期までは中の下レベルだったんだけどな」
 気付けば追試常連組。それでも進級できるだけの成績が取れているのだからある意味要領は良いのだろうけど。いつの間にこんな堕落したテスト攻略法を身につけてしまったんだろうな。進研ゼミの宣伝漫画もびっくりだ。
「まぁ高樹さんがそれで良いのでしたら行ってきたら良いですよ。どうせ勉強してもしなくても追試を受けることになるのなら、勉強しないで遊びほうける方が利口ですしね」
「おいオギー。これでも一応必死こいて勉強してやっとギリギリ追試で受かるレベルなんだぞ。遊びほうけてたらリアルに二桁届かないんだからな」
「高樹さんはどうしてこの高校に入れたんですか」
「うるせえ! 俺はやればできる男なんだ!」
 やれば、なんとか追試で受かるレベルの男。
「本当にできる男っていうのはいつだってやれるんです」
「そろそろやめてやれ、扇浦。見てるこっちの心が折れる」
 扇浦はまだ悪態をつき足りないらしく、仲裁する僕を一瞥し、舌打ちでもしそうな表情のまま雑誌に目を戻した。
「藤埜。お前ももちろん行くだろ?」
 常識的に考えれば断るべき。迷う事なんてない。だけど、僕だって興味がないわけがないし、生のマールトを見てみたい。彼らがどんな顔をして、どんな風に唄うのか。それを一番近くで見てみたい。好奇心は僕の中の良心と拮抗していた。頑張った末にできなかったのならそれは仕方のないことでも、端から諦めてしまうのは僕の信条に反する。
 それに、高樹がこれほどまでに切望しているものを無下にするのは気が引ける。本当は何かを強く求めたりする男ではないのだ。
 ならば、高樹の望みも、テストも、棄てることのない選択をしよう。
「よし。行こう」
 僕は力強く頷いた。高樹の表情が輝いて、扇浦の表情が歪む。この部屋のエネルギーは常に一定らしい。
「まさか馬鹿な事を考えているわけじゃないでしょうね」
「それでこそ藤埜だ!」
「ただし、ちゃんと事前に勉強すること」
「もっちろん。あ、従兄が一人暮らししててさ、彼女のとこ泊まるから部屋を使って良いって言ってんだ。そこで合宿しようぜ。勉強合宿」
「――それなら良いよ」
「お二人とも正気ですか?」
 僕だって友達との勉強合宿がただの自殺行為でしかないことは分かっている。扇浦に言われるまでもない。それはつまり試験前日に外出する言い訳のようなもの。だいたい、前日に勉強できないなら早めに勉強すればいいだけのはなし。一夜漬けに頼ること自体が間違いなのだ。
「そんなにうまいこといくわけないじゃないですか」
「まぁそう言うなよオギー。なんならオギーも来る?」
「三人も泊まれるわけないじゃないでしょう」
 そう言ってから何かに気付いたらしく、広かったら泊まるというわけではありませんが、とぶつぶつ言い訳している。別に追及するつもりなんてないんだけど。一人暮らしってことはワンルームか1DKがいいところだろう。三人では狭いかもしれない。
「へーいきだって。ベッドで二人寝りゃいいんだろ」
「誰がそんな真似を」
「いいよオギーは床に寝れば。俺と藤埜でベッドに寝るからさ」
「いや、俺は……」
「まぁとにかく僕は行きませんよ。ライブにも興味がないですからね」
 僕らの目的はあくまでライブ。勉強合宿ももちろんするつもりではあるけれど、ライブに行かないのならば合宿する意味もない。至極真っ当な決断である。
「じゃあ写真部の合宿はまた今度な」
「そんなものがあるんですか」
「ないよ。扇浦も知ってるだろ? 人数少ない部活は活動費もらえないんだから」
 部活は最低三人いれば活動を認められているが、流石に活動費までは支給されない。一定の人数と大会やコンクールで成績を認められる必要がある。とどのつまり、弱小文化部で活動費を捻出される可能性はほぼない。だが、個人的な合宿は部活顧問の許可の元、自己責任で行っている部活もあるし、写真部なのだから撮影会を兼ねた合宿ぐらいあってもおかしい話ではない。
 だが、代々インドア派の先輩が多かったために誰も企画することがなかったのだ。
「ま、せいぜいお二人で楽しんできてくださいよ。僕は試験日の当日にお二人が悲惨な目に遭うのを楽しみにしていますから」
「なるべくそうならないよう頑張るよ」
「でもさ、まだ一ヶ月もあるわけだし、余裕じゃね?」
 この慢心が彼の成績に結びついているんだろう。きっと、あと半月、あと一週間、あと三日、あと一日とその余裕は伸びていくことだろう。これは、僕がしっかりしないといけないかもしれない。
 本当に放っておけないやつだ。

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