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 高樹浩二は僕の一番の友達だ。
 四人兄妹の次男坊。家族構成は父、母、祖母、兄、姉、妹。一月十六日生まれのA型。得意な科目は英語で、苦手な科目は英語以外。好きな食べ物はかに玉で、嫌いな食べ物はレバー。お笑いが好きで、DVDをよくレンタルしている。趣味、特技、これといってなし。
 彼との付き合いは高校入学以来と、比較的浅いものだった。
 何をきっかけにして、どういう一言から仲良くなったのか、今となっては明確には覚えていない。
 ただ自分と近しい雰囲気を持っていて、会話が心地良いリズムで続いているから側に居るというだけ。ドラマチックとはほど遠い僕らの関係は、それでもというかそれでこそというか、パズルの一片のようにぴったりとおさまっているのだった。  誰かが崩したパズルは、その二ピースだけでほぼ完結してしまっている。まるで世界にははじめからその二つしかなかったように。

 マールトと衝撃の出会いをした明くる日、電車に乗ってきた高樹はマールトのことなんだけど、と切り出した。
「デビューしたのが今年の一月だから、まだあんまり情報がなかったんだ」
 僕はCDを聴くことにばかり気を取られ、彼らのことを調べるのをすっかりと忘れていた。僕はつり革を握り直して高樹の話に耳を立てる。
「アマチュアでの活動がそんなに長くなかったみたいだし。それからスペルがモルトと被るから探すの大変だった」
「なるほど」
「一応公式サイトは見つかったけど。これも最低限の情報しか載ってないんだよなぁ。作りもシンプルでバイオグラフィーは名前と担当パートだけ。ディスコグラフィーが一枚しかないのは仕方ないにしてもさ。もうちょい来歴とかあっても良いよな。顔写真とか」
 詳細不明の新人アーティストか。――面白いや。それは砂粒の中から砂金を見つけたように、強く輝いて見えた。あの時もしもCDショップではなく本屋に足を向けていたら、こんな素晴らしい音楽には出会うことができなかったはず。僕とマールトを引き寄せた偶然には感謝しなくてはならない。
「ありがとな。あとで俺も見てみる。――そうだ。これ」
 僕はマールトのCDを差し出した。一応CDをコピーしているので今も聴くことができる。せっかく購入したCDプレーヤーなのだから、使わない手はない。音飛びするのでむやみに動かせないし、電池式でコストパフォーマンスはあまり良くないし、最低なことだらけだが、マールトと共に購入した愛着のある品だ。名前をつけてやりたいくらい。
「おお、サンキュ」
「早く返せよ」
「分かってるって」
 こうして僕らの高校生活を形成する一つのファクターとして確立していくのだった。
 特定のバンドをひいきしたりすることは初めての体験だ。そしてそれを一番仲の良い友達と共有できることのすばらしさは僕を浮き足立たせていた。この学校でマールトの事を知っているのは僕らだけ。マールトの音楽が僕らのためだけにあるような気分だった。
「藤埜、今日部活出る?」
「あぁ、特に何もないから顔出すよ」
「どうせ扇浦は部室にいるだろうしな」
「あいつも変わった奴だよほんと」
 扇浦は春に入部してきた一年生。我らが写真部三人目の部員である。
 僕らが入部した時はそれなりの賑わいを見せていたこの写真部も、僕ら以外は全員当時三年生だった。そのため、彼らが卒業すると残るのは僕ら二人だけ。人数不足から廃部の危機に追い込まれる。そんな危機を救ってくれた英雄こそ我らが扇浦志郎だった。
 と言っても部活の最低人数は三人と比較的緩い規則だ。英雄というのは言い過ぎかもしれない。そもそも扇浦自身が英雄として祭り上げるには適さない性格をした人間なのだった。
 扇浦志郎はとても変わった性格の人間だ。それはとても一言では言い尽くせないが、強いて言うならば『慇懃無礼』だろうか。

 放課後、部室の引き戸を開けると正面に彼は居る。
「よお、オギー」
「おぎうらです。こんにちは高樹さん、藤埜さん」
 太い黒縁の眼鏡越しに僕らをぎろりと睨む。妙なあだ名を付けられたことに対する抗議ともとれるが、彼は普段からこんな顔をしている。挨拶を終えるとすぐに持っていた雑誌に視線を戻す。少し猫背気味の上前髪も長いため、近寄りがたいというか陰気な雰囲気を醸し出している。事実彼はクラスに友達らしい友達はいないようで、昼休みも部室に入り浸っているようだ。
「オギーもこれ聴く? 良い曲だぞ」
「遠慮します」
「まぁそう言うなよ。ほらほら。藤埜、プレーヤー貸して」
「ああ」
 扇浦の鋭利な視線に痛みを感じつつ鞄からCDプレーヤーを出した。嫌がりながらも渋々イヤフォンを装着して聴く辺り、先輩に対する義理という物があるのかもしれない。
「よく分かりました。僕は好ましく思いません」
 恐らく一番のサビが終わった辺りで再生を止めたあとの感想がそれだった。義理とかないのかもしれない。扇浦は後輩だけれど先輩に対して怖じることなく意見する人間だ。恐らく先輩とか関係なくクラスでもこんな感じなのだろう。
 まぁでもこれも個性の一つだと僕らは納得している。それに、こんな奴でも大事な大事な後輩だから。
「だいたい今日日どうしてCDプレーヤーなんですか」
「えっと……外出先でも聴けるだろ?」
 自分でも苦しい言い訳だとは思うが、この屁理屈男に『その場のノリ』という感情論が通用するとは思えない。
「藤埜さんは圧縮音源の音質に拘る人間なんですか? その割にはこれ付属のイヤフォンのように見えますが」
「いや、音質とかは別に分からないんだけどな。まぁ、そんなたくさん音楽を聴きたいわけじゃないし」
「そういうものですか。音質の話なら納得できたんですが、今ひとつ得心いきませんね」
「別にどうだっていいじゃんそんなもん。まぁ俺もオギーと同じ感想だけどさ」
 お前は分かれ。
「とにかくなんでもいいんだよ」
 これ以上の追及を逃れるべく僕は早々に話題を切り上げた。マールトを気に入ってもらえなかったのは残念だが、こればかりは好みだから仕方がない。そもそも扇浦がこういう音楽を聴くようには見えないし、こうなることは何となく見えていた分ショックはあまりない。
「そういえば高樹。文化祭の企画概要提出しないといけないんじゃなかったっけ」
 写真部部長であるところの高樹は耳が痛そうに突っ伏した。じゃけんで負けた名ばかり部長ゆえ、責任感は欠如している。むしろ新入生の扇浦に任せたいくらいの有り様だ。
 とにかく内容については僕らも考える必要がある。
「とりあえず展示でいいんじゃないか? 去年とかもそうだったんだけど、どこかの教室借りるか廊下とかに張り出してさ」
「無難なところですね。まぁ仕方ありません。テーマとかは決めますか?」
「去年のテーマってなんだっけ藤埜」
 すっと顔を上げて僕を見る。こいつ……忘れているはずがないだろうに。
「放課後、時間、カンショウから一つ以上選択。あと、自由テーマ二枚以上」
「カンショウはどういう字を当てる単語ですか?」
 その質問に高樹の口角がにやりとつり上がった。
「何でも良いんだよ。音楽の鑑賞でもいいし、傷心する感傷でもいい、笑い合う歓笑でもいい。同音異義語のテーマってやつだ」
「へぇ」
 昨年このテーマを提案したのは高樹だった。他にぱっとしたテーマもなかったので採用となったわけだが、高樹は自分の案が採用されたことにえらく喜んでいたものだ。優秀な兄妹のいる家庭で育ち、認められるという機会が少なかったらしい彼にとって、それは確かに貴重な経験だったのかもしれない。
 実際にそのテーマを選んだのは高樹と僕の二人だけだったけれど。
「まぁなんなら今年も似たような奴やる? やっちゃう?」
「人数が少ないですから選択式より固定した一つのテーマに絞った方が展示にまとまりが出るかもしれませんね。自由作品枠との違いもぱっと見で分かりにくいですから」
 僕には分かる。高樹はいつもと変わらないゆるんだ笑顔を見せているけれど、その心は今、惨たらしく陵辱されていることだろう。だが、扇浦の言っていることはどこまでも正しい。高樹に対する贔屓目がなければ一も二もなく賛成することだろう。
「実際やってみると結構面白かったよ。同音異義語のテーマ」
「そういう問題ではないんじゃないですか? それはやる方の都合であって、閲覧者のことを考えていませんよね」
「そ、そうだよな。うん。オギーの言うとおりだよ」
 高樹が本心から言っているわけでないことは明らかだ。こいつはお気楽馬鹿のように勘違いされやすいが、実際は意外と繊細な精神構造をしている。自己主張が意外と弱いのだ。自分の意見を貫くということが苦手で、すぐに道化ぶって誤魔化す。他人を思いやる優しい性格といえば聞こえは良いが、それで彼が背負わなくていい不利益を押しつけられては彼が救われない。だから僕はこういう時、たまに助け船を出す。
「撮ってる方が楽しくない写真なんて、見たって面白くないだろ」
「そんなの下らない精神論です」
「そうかな? 似たり寄ったりの写真より、いろんな写真を見られた方が楽しいんじゃないか? 同音異義語と、自由テーマか固定テーマのどっちかにすればいいと思うけど」
 扇浦は少しだけ僕と高樹を見比べて、浅く息を吐いた。
「高樹さん、同音異義語のテーマは考えていますか?」
 やはり扇浦も先輩を立てるという殊勝な心づもりはあるようだ。些か不満げではあったが、譲歩の姿勢を見せた。高樹の目に喜びの色が宿って、僕も安堵する。
「お、おう、そうだなぁ」
 ちらちらと僕と扇浦の方を見ながら思案する。ああ、これは。これは確実にもう考えてある顔だ。
「うん、『ユウ』とかどうだ?」
 冷たい沈黙が訪れる。そんな空気はどこ吹く風で、高樹は自信満々な表情を浮かべている。これは恥ずかしい。恥ずかしいと自覚していない高樹を見てる僕らの方が恥ずかしい。
「――ああ、うん。なかなか良いんじゃないですか?」
 扇浦の目がかわいそうな物を見るそれに変わっていく。僕は苦笑しながら視線を逸らした。
 けれどまぁ、高樹が満足そうなので良しとする。


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饒舌なネクラというキャラクタの扇浦氏。いつも喧嘩腰です。嫌な子です。
けど、書いていて一番楽しいです。