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 それから。
 翌日もまた僕は一人で登校することにした。わだかまりが残っている訳じゃない。足取りも軽い。
 早めに登校した僕は真っ直ぐに部室へと向かう。もちろん、扉を開けたその先に扇浦が居る。挨拶もそこそこに、僕は鞄から小さな包みを取り出し、扇浦に放った。
 反応は若干遅れたものの、とっさに出した扇浦の掌に着地する。
「何です、これ」
「おみやげ。昨日高樹と那須さんとライブに行ったんだ」
「那須さん――高樹さんの彼女でしたよね」
「まぁね」
 色々と追及される事を覚悟していたが、意外にも扇浦はおみやげの方に興味を示していた。
 なんてことない、ただの観覧車のストラップ。
「心配かけたから、さ」

 昨日の帰り道、高樹は僕に扇浦から電話があったことを報告してきた。
 高樹にとってもそれは初めてのことだったらしく、とても驚いていた。
『藤埜さんの様子がおかしくて鬱陶しいので何いい加減なんとかしてください』
と言ってきたそうだ。
「別に心配なんかしていません。何を一人で空回りしているんです見苦しい」
「そうなの?」
「そうですよ」
 それが心配でなかったのならば、一体何だというのだろう。
「けど、迷惑はかけただろ?」
 彼はいつも通りの不満げな顔で僕を見上げる。どんな慇懃無礼な罵詈雑言が飛び出るかと構えたが、それは徒労に終わる。
「せっかくですから頂いておくことにしておきます」
「そうすればいいよ」
 もしかしたら。さっきのつんけんした物言いは『気にするな』という扇浦語だったのかもしれない。
「なぁ扇浦」
「何です」
「お前はやっぱり扇浦だよ」
「何を言っているんです」
「高樹の代わりとかじゃなくてさ、俺は扇浦と仲良くしたいと思ってるよ」
 確かに僕は自分の寂しさを埋めるためにこの部屋に入り浸り、扇浦を高樹の代わりにしようとしていたかもしれない。
 けれどそれは高樹と同じくらい、扇浦とも仲良くしたいと思っていたから。扇浦のことも好きだから。
 だから、現金な奴だと思われてしまうけれどもそれが偽りない気持ちだった。
「はぁ」
「だから、これからもよろしくな」
「気持ち悪いです。今まで通りにしていてくださいよ」
 扇浦語で『こちらこそ』だろうか。解読はなかなか難しい。


 僕と高樹は友達だから。
 友達にしかなれない。それ以外にはなれない。
 けれどきっとそれは誰かの羨む関係で、他の誰かが切望した場所なのだ。ひょっとしたら、高樹のいる場所を羨む誰かが居るのかもしれない、なんて考えてみたりもする。
 アイのテーマも大丈夫。僕は何を撮るか決められたから。

 それからの僕らは平穏な日々を過ごした。時々は四人でお昼を食べ、時々は三人で遊び、時々は二人で語り合い、時々は一人にもなる。それぞれの想いは消えたわけではないけれど、それは抱え込んでいるのとはまた違う。僕らの大切な気持ちだ。
 僕は、高樹と那須さんと、扇浦を撮る。それは僕が愛する人々の姿。僕との接点。今の僕を構成する大事なファクターだから。僕のCDプレイヤーで音楽を聴く二人。雑誌を読む扇浦。レンズを覗き込む高樹。顔を撮られたくないとそっぽを向く扇浦。瞬く間に消えてしまう日常をカメラに焼きつける。
 そして、高樹のアイも僕と全く同じ物らしいことは想像できる。
 きっと、このテーマを決めたときから僕のことを撮るつもりだったのだ。
 もしかして僕を撮りたいからこういうテーマにしたかった、と考えるのは自惚れだろうか。
 彼女のことだけを優先するつもりはないと、那須さんと同じくらい僕のことも大切にしたいと、展示を通して僕に告げたかったのかもしれない。わだかまりは那須さんによって解かれてしまったので、無用な気遣いに終わってしまったのは実に高樹らしい。
 何があったって憎めない。そういう奴だ。
「そういう人よね。高樹くんって」
 彼女は春先に吹くそよ風のように囁いた。きっと愛に満ちた展示になるだろう。愛しいものの愛しい姿で教室をいっぱいにしよう。人だけじゃなくて色々なもの。
 写真部のことについても少しだけ語るべき事はあったけれど、それは僕らの物語というより扇浦の物語なので、語り部は彼に譲ろう。
 僕らはそれぞれの妥協点を見つけて、折り合いをつけたりつけられなかったりして生きている。
 そういう無駄な事ばかりを繰り返して、年を取る。

 そうやって年を取って、少しだけ大人になった僕らの話。
 那須さんが予見していた通り、大学へ進学してしばらくの後二人は別れることとなった。それはとても穏やかな終焉で、別離というよりもほとんどフェードアウトと言っていい。別れの気配は那須さんだけではなく、高樹自身も感じ取っていたのかもしれない。
 今もマールトは活動を続け、中高生の一部に熱烈な支持を受けるようになった。あの頃の音楽からは掛け離れた歌もあれば、あの頃と同じような歌も唄っている。けれど、それがどんなに素晴らしい曲であってもあの時ほどの感動を覚えることはもうない。
 メディアへの露出も増えた彼らはインタビューで彼ら自身の事をこう語っていた。
 マールトというバンド名について、彼らが意図して付けたのは人工言語アルカの『思春期』という単語だった。
 しかし実際には夢魔であったり、ロシア語の三月を意味するものと同音であったりするので
『どれが妥当な訳語かはその人が選んでくれて構わない』『思春期も夢魔も三月も、自分の中ではほとんど同じ意味を持つ。どれも鬱陶しいし、早く過ぎ去ってほしい。だからこの偶然を受け入れたい』と。

 大人になった僕らにはもう、彼らの歌は響かない。心の中の敏感だった部分はあらゆる世の中の流れにすり減らされ、あるいは強化され、鈍化されていくのだ。そうして終わった思春期は過去のあわい思い出に変質してしまう。
 あれから高樹に新しい彼女ができたけれど、あの時と同じ気持ちになることはない。
 それは確かに悪夢を見せる夢魔のようであり、変化と別れをもたらす三月のよう。
 結局僕の高校生活というのは、マールトそのものだった。
 高樹との関係も、僕が違った行動を起こせば全く別の在りようがあったのかもしれない。
 けれど僕は今のこの関係だって悪くはないと思っている。
 どちらが尊いとか、劣っているとか、そういう価値観には当てはまらない。
『From:高樹
 Sub:ひさしぶりー
 新譜聴いた? なんかちょっとデバウアっぽくて燃えるんだけど』

『To:高樹
 Sub: Re:ひさしぶりー
 ねぇよ。デバウアの足下にも及ばん。けどこれはこれで。』

『From:高樹
 Sub: Re:ひさしぶりー
 ばっちり聞いてるじゃねーか!』
 燃えるようなそれはないけれど、細く、けど確かにある揺るぎない僕らの関係。
 誰かが望んだ絆のかたち。

MALT days 完


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